2021/09/06【三山春秋】1964年の東京パラリンピックで…
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 ▼1964年の東京パラリンピックで日本人が驚いたのは脊髄損傷という重い障害を持つ外国人選手の明るさだった。仕事を持ち、競技が終わればタクシーを呼んで買い物や酒を飲みに出掛けた

 ▼日本では仕事を持つ障害者は少なく、部屋に閉じこもりがちだった。力となったのは当時の皇太子ご夫妻。美智子さまは競技場や選手村を訪れて積極的に交流した。こうした姿は障害者への理解を助けた

 ▼あれから57年、東京で2度目となるパラリンピックが挙行され、数多くのドラマとともに閉幕した。ラケットを口にくわえてプレーする卓球選手、義足のアスリートが超人的な跳躍を見せた走り幅跳び。腕や脚を欠損した選手が懸命に泳ぐ姿に心を打たれた人は多いだろう

 ▼大会が掲げる「共生」は障害者と健常者が協力する場面に表れた。視覚障害者の走り幅跳びでは「コーラー」が声や手拍子で、競泳では「タッパー」がターンなどのタイミングを棒で伝えた

 ▼県勢では唐沢剣也選手が陸上男子5000メートル(視覚障害)で銀メダルを獲得した。力強い走りを支えたのは練習をサポートしてきた伴走者や支援者。唐沢選手が何度も口にしたのは感謝の言葉だった

 ▼大会を機に交通機関や公共施設のバリアフリー化は進んだが、障害者が不自由を感じずに生活するには程遠い。関心を一過性に終わらせず、東京大会を共生社会実現への第一歩としたい。

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