2021/10/08【三山春秋】2歳の時に広島で被爆し…
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 ▼2歳の時に広島で被爆し、10年後に白血病で亡くなるまで回復を願って鶴を折り続けた少女がいる。平和記念公園にある「原爆の子の像」のモデルとなった佐々木禎子さんだ

 ▼禎子さんの母校、幟町(のぼりちょう)小には遺品の折り鶴などゆかりの物を展示する「のぼり平和資料室」がある。桐生織の生地で大きな鶴を折った「織づる」が同校に贈られることになった

 ▼平和記念公園に寄せられる千羽鶴の逸話に心を打たれた桐生中央中1年の園田莉菜さんが、小学6年の時に総合学習の課題で提案したアイデアを基に企画された。「桐生織物で折り鶴を作り、平和の象徴にしたい」という願いが込められている

 ▼感銘を受けた桐生市遺族会(小池恵一会長)が実現に向けて動き、市内の織物業者らに協力を呼び掛けた。生地には桐生、みどり両市にのみ自生するカッコソウの柄があしらわれ、桐生らしさを表現。両翼を広げた大きさは約1.2メートルにもなる

 ▼織づるは幟町小だけでなく、地元桐生市にも贈られる。園田さんは「広島の寄贈先が決まってうれしい。禎子さんの母校に贈ることができるのは広島の方々の協力があったから」と感謝の言葉を口にする

 ▼終戦から76年という歳月が流れ、被爆者の高齢化が進む。悲しい記憶を風化させないためにも次の世代への継承が欠かせない。時を超えてつながった2人の少女が折り鶴に込めた思いを大切にしたい。

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