2018/06/21【三山春秋】上州が東国経営の拠点になって…
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 ▼上州が東国経営の拠点になっていたかもしれない―。県立女子大で行われた群馬学連続シンポジウム「本能寺の変と地域学―群馬・1582年・夏―」を聞きながら想像を膨らませた

 ▼戦国末期、武田氏を滅亡させた織田信長は、重臣・滝川一益を厩橋うまやばし城(前橋市)に派遣して上野国を支配。武田、上杉、北条の草刈り場となっていた地をまとめ、さらに周囲ににらみを利かせていく

 ▼東国進出が本格化すると思われたが、2カ月半で事態は急変。信長の死を知った北条方とのいわゆる「神流川合戦」に敗れ、一益は逃げ帰る。遠く京都の地で起きた政変が群馬の運命を大きく変えた

 ▼明智光秀の決断がなかったら、上州を拠点に織田方の進撃は続いたのではないか。北条氏の小田原のように、前橋は東日本を代表する大城下町として発展していく―

 ▼信長がどこまで勢力拡大を考えていたかは議論の余地がありそうだ。日本全体というイメージの「天下」という言葉も、畿内など限定的な範囲を指していたとの考え方も提起されている。やはり願望の入った空論かもしれない

 ▼ただ歴史は変えられないが、可能性を考えるのは自由だ。本能寺の変以外にも、実は群馬の歩みに大きな影響を与えた事件はまだまだあるだろう。多角的、複眼的な視点を持つことで、歴史の楽しみ方がまた一つ広がる。

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