変革の第一歩 部活は当たり前なのか
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 みなさん、部活があるのは当たり前、と思っていませんか。

 昨今、部活のあり方が問われ、変革が求められている。ところが、なかなか変わらない。その原因の一つは、目の前にある部活の姿が「当たり前」と思われているからだ。

 しかし、本当にそうなのか。二つの視点から疑ってみよう。

 一つは、国際比較の視点だ。世界各国で、中高生段階のスポーツがどこで行われているかを分析した。すると、ドイツなど一部の国は、学校の部活はほとんどなく、地域のクラブが盛んだ。つまり「地域中心型」といえる。

 他方で、アメリカやイギリスなど欧米の多くの国は、学校の部活もあるが地域のスポーツクラブも充実している。こうした「学校地域両方型」が、世界でもっとも多い。

 そしてもちろん、日本は「学校中心型」になる。部活が盛んな日本は、国際的に見ると特殊な国なのだ。

 では、そんな日本の部活は、なぜここまで拡大してきたのか。部活を疑うためのもう一つの視点として、歴史的背景を探ってみよう。

 部活は戦前から自然発生的に行われてきたが、いまのあり方は、戦後の歴史を通してつくられた。この歴史は、三つの時期に分けられる。

 第一に、1945年からの戦後教育改革が進められた時期だ。戦争が終わって、教育のあり方は、軍国主義から民主主義へと変わった。この時、部活が価値を帯びた。なぜなら部活は、生徒が自ら試行錯誤したり協力したりするので、民主主義的な価値があると考えられたからだ。

 第二に、64年の東京オリンピック前後の転換期だ。オリンピック前には、勝つために優れた選手を育てようと、部活は選手中心主義になった。しかしオリンピック後には、生徒全員に平等であるべきだ、と反省された。民主主義的な価値がある部活を平等主義的に広めなければならないと考えられて、部活はどんどん拡大した。

 拡大すると教師の負担も大きくなるが、部活の拡大はやまなかった。なぜか。

 第三に、80年代の校内暴力が問題になった時期だ。TVドラマ『スクール☆ウォーズ』が象徴するように、不良生徒が、部活で頑張って成長する感動物語に人気が集まった。背景には、生徒の非行問題があった。そこで教師は部活を非行防止手段として利用した。いわゆる管理主義だ。だから教師は部活を手放さず、結果、部活はさらに拡大した。

 以上を踏まえると、「日本」の「いま」の部活は決して当たり前ではなく、過剰なほど肥大化していることがわかる。

 部活は「当たり前」ではない―。この認識が、部活を変革するための第一歩になる。部活で苦しむ生徒や教師はあらためて、目の前の部活を疑ってみてほしい。



早稲田大スポーツ科学学術院准教授 中澤篤史 横浜市緑区

 【略歴】専門はスポーツ社会学。著書に「そろそろ、部活のこれからを話しませんか」。趣味はコーヒーと囲碁。大阪府出身。東京大教育学部卒。妻の実家が前橋市。

2019/01/06掲載

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