第二の競技者人生 生涯をマラソンと共に
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 私は現役のボクシング選手ではないが、現役のマラソン選手である。私の競技者としてのボクシング人生は、国体優勝やオリンピック出場など長きにわたる栄華に思えるかもしれないが、16歳から29歳までのたった14年のみであった。競技期間だけで考えるならば、私はボクシング選手ではなく、マラソン選手なのかもしれない。そう感じるくらいに、ボクシングの競技人生は短く感じている。

 ボクシング引退後、ボクシング人生よりも長くなることとなる、ごく一般的なサラリーマン人生が始まった。ボクシング中心の生活から一変し、私の体重はあっという間に10キロ増加した。今まで着ていたズボンがはけなくなるほどであった。急激な体重増加を機に、会社の仲間とマラソン大会に出場するようになり、これが私にとっての第二の競技者人生の始まりとなった。

 最初は体形の維持が目的であったが、仲間同士で行う大会前の練習会やオープン参加の大会に出場するうちに、マラソン競技としての関心が芽生え始めた。東京にいた当時は、10キロのレースに出場することが中心であった。44歳で地元である群馬県へ移住し、環境の変化も相まって、マラソン競技者としての転機を迎えた。

 移住後は、マラソン仲間もおらず、一人でレースに参加することが多くなった。そのため、10キロのレースでは物足りなく感じ、移住の翌年にはハーフマラソンに出場するようになった。気付けば、年間10大会に出場するまでになっており、ボクシングの競技人生よりもマラソン競技人生の方が長くなった。これからも引退の予定はない。

 そう思わせてくれるのが、ふと現れたライバルの存在であった。最初は会社の先輩が趣味としてマラソンに興味を持ち、一緒に大会に出場することぐらいのことだった。もちろん特に際立ってスポーツをやってきたわけではない彼と当時の私とのタイムの差は歴然であった。だが彼は年齢などを言い訳にすることなく練習を積み重ね、60歳でフルマラソン3時間30分を切るというマラソン競技者としては憧れの記録を打ち立てた。

 自分よりも年上の偉業に強い刺激を受けたのと同時に、マラソンとは生涯付き合っていける競技であると感じた。彼だけではなく、私のマラソン仲間には、スポーツ経験がなくとも短期間にフルマラソンで4時間を切ってしまったような強者もいる。

 そういった事情を踏まえて、この長い人生でマラソンを始めることに早いも遅いも感じない。どんなに年齢を重ねても、しっかりと練習を積み重ねれば、昔はなれなかった同世代のヒーローになれることができる競技だと信じている。マラソンの先輩として同世代の新たなライバルが出現することを願っている。



県ボクシング連盟審判長 黒岩守 高崎市上中居町

 【略歴】伊勢崎工高でボクシングを始め、大学生でロサンゼルス、社会人でソウル両五輪に出場。現在はレフェリーとして県内外の大会に携わるほか、小学生を指導する。

2019/01/09掲載

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