「平和を願う」 実現へ戦略的営みを
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 平成が終わる。他国と直接戦火を交えることのなかった平和な時代であった。次世を迎える直前の今、昭和の戦争を経験した祖父との思い出を手がかりに「平和を願う」ということについて考えてみたい。

 祖父は盧溝橋事件が起こった直後に陸軍に召集され、幹部候補生を経て少尉に任官した。職業軍人に混じりながら素人将校として数年間従軍し、中国大陸で何度か死線をさ迷った末、1941年11月にようやく召集解除されて内地に帰還することになった。

 ところが帰りの船便の切符が全く取れない。対英米戦準備のために民間船が徴用されていたからなのだが、そのような事情は誰にもわからず仲間はのんびりしている。祖父は直感的に「何かおかしい」と思い、有り金をはたいて2枚だけ残っていた切符を買い、従兵1人を連れて帰ってきた。そして、下関に上陸した12月8日に日米開戦の号外を手にした。

 不安を胸に妻子がいる故郷まで二十数時間をかけて帰ったが、「勝った、勝った」の世の中である。祖父は家族の無事に安心したが、召集の半年前に生まれた4歳の長男(私の父)に「このおじさん、誰?」と言われたことが大変なショックだったという。同時に召集解除となった連隊の仲間は帰国しそびれて、現地で即時再召集され、その後南方に送られて全滅した。

 帰国後の祖父は軍需省関係の国策会社に勤務し、44年に再び召集されて艦砲射撃に「逃げろ」と号令をかけているうち大尉で終戦を迎えた。戦後は地方公務員に転身し順風満帆な人生を送り、晩年は生き延びた幸運に感謝をしていたが、それは自分と従兵だけが生き残ったという生涯心から消すことのできない痛恨事といつもセットであった。

 「戦争は結局人を殺すことだから、してはいけない」というのが、祖父のシンプルな結論だったが、祖父と子どもだったころの私は、もう少し難しい話をした。

 一つは「戦争は悪である」ということと「今の世の中が善である」ということは全く別である、という話。今の世の中が良くなくても戦争はすべきではないが、戦争が起きていないから世の中が良いというわけではない、ということ。もう一つは「戦争は悪であると言い続けることが至高であり、有事を想定するなどもっての外」という言霊の世界に関わってはいけない、という話。願望に縋(すが)るのは最悪であり、現実に戦争を起こさない努力こそが尊いのである。リアリストだった祖父の影響を受けて、私は理想主義ではなく現実主義を信奉するようになったと思う。

 政策論は理想を掲げるだけでは全く不十分である。「平和を願う」とは、実現のプロセスの設計と具体的な提案とを含んだ、現実主義的戦略的な営みでなくてはならない。



高崎経済大地域政策学部教授 佐藤公俊 さいたま市大宮区

 【略歴】2011年から現職。専門は政治学、公共政策。日本地域政策学会常任理事。宮城県出身。慶応大経済学部卒。同大学院法学研究科博士課程修了、博士(法学)。

2019/01/11掲載

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