政府も「間違える」 解決策の要求こそ肝要
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

 空き家が社会的問題として取り上げられて久しい。政府も対策を講じているが奏功しているとは言い難い。戦後のわが国は高度経済成長、人口増加、人口移動が同時並行で進行し、主に都市圏において住宅需要の増大と住宅不足が生じた。これに対応するために民間事業者、都道府県・市町村・地方住宅供給公社などの政府公共部門が都市郊外で大規模開発を行った。結果として、21世紀に入って幾つもの公社が赤字により解散し、ニュータウンと呼ばれるそれらの地域においても空き家問題が発生しつつある。

 ここで政府の能力を考えてみたい。政府が少子高齢化に気付いた1980年代、対策を本気で考えはじめた90年代においても、依然住宅不足が問題とされた。しかしながらその後十数年で空き家が問題となり、若い都市であったニュータウンさえも高齢化の波にのまれて空き家問題を抱えることになった。後知恵であることを承知であえて書くが、政府は人口動態と住宅需給の予測を誤っていた。

 もう一つ、郊外型大規模開発は負の遺産となった。都市機能の観点から70年代には「コンパクトシティー」の概念が出現しており、高齢化社会への対応などを考えた場合に速やかな切り替えが望ましかった。しかしながら、結果として空き家が分散するコンパクトではない都市を政府主導で作り上げた。都市の維持に莫大(ばくだい)な費用がかかる社会を形成してしまったのだ。

 以上の「間違い」を、私は政府を批判するために用意したのではない。本当に間違ったと思っているわけでもない(だからカッコを付けている)。選挙や試験で公務員を選び、この人たちにより構成される政府の予見能力をもってしても間違えるのであれば、それは人間の限界なのだと思う。「間違い」に対して、怒っても嘆いても無意味である。

 あなたも私も政府も、誰もが間違えるのである。大事なことは、間違えたらすぐに改めることだ。個人ならばそのような選択ができる人ほど幸福を手にできるだろう。ところが政府などの組織になると、改めることが極端に難しくなる。「政策が間違ったのではなく、結果が間違いなのだ」といったありえない論理が支配的になるのは珍しいことではない。個人的な問題であれば自由だが、政府がこのような論理を採用すると被害は市民に及ぶ。

 「間違い」は間違いならば仕方がない。間違いに気付いていながら認めないこと、認めるまでにいたずらに時間を費やし政策転換が遅れることの方がより深刻である。

 政府が間違った時にひたすらたたくのはナイーブである。速やかに問題解決策を提示せよ、と言わなければならない。もう一つ、間違いに気付かないふりを許してはいけない。よりよき市民であるためには、感情よりも勘定を。



高崎経済大地域政策学部教授 佐藤公俊 さいたま市大宮区

 【略歴】2011年から現職。専門は政治学、公共政策。日本地域政策学会常任理事。宮城県出身。慶応大経済学部卒。同大学院法学研究科博士課程修了、博士(法学)。

2019/03/06掲載

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
関連記事