認知症と地域介護 患者本人と家族支える
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 妻の若年性認知症を社会に公表したことによって、罵詈(ばり)雑言や歪曲(わいきょく)された風評が流布した。しかし、一歩たりともひるむことはなかった。

 若年性認知症がどういう病気であるか。ひと足お先に不治の病に侵された妻の介護人として「地域介護」のサンプルづくりを試みた。

 その基本は、妻が私をわからなくなる時期が必ず来る。ならば、できる限り症状の進行を遅らせる方策を見いださなくてはならない。今のうちに好きなことを好きなだけさせよう―。そう決意した。

 妻が30年来、趣味とした三味線・民謡の師匠や門下生には、全面的に介助をしていただいた。なかでも、Aさんは、妻の着物を拙宅から一式ご自宅に保管し、発表会の都度、Aさん宅で着替えと送迎までしていただいた。

 隣近所の多くの方々からも無償のご支援をいただいた。

 単身高齢者のKさんは、私が公務で不在時には、散歩をはじめとして常に妻に寄り添っていただいた。その一例をご紹介したい。

 私は、県議会終了後、妻の安否を確認するため、必ず電話していた。ある日のこと、「お父さん、今帰るからね」。「冷たいんだよ。寒いんだよ」。「どうした?」。妻の身に異変が生じていること察知して、直ちにKさん宅に電話した。「すみません…」。「おかしいな。今まで、お宅で一緒にいましたが、すぐ行ってみます」。

 約1時間後に帰宅した私にKさんが、妻の状況を話してくれた。「オシッコです。着替えさせました」。この出来事は生涯忘れることはない。

 また、ある時は、妻に刺し身を食べさせようと地元の居酒屋に行った。その際、店主の奥さまが妻に声をかけた。「ゴルフする?」。「する!」。即答だった。

 ご自身の職業柄、睡眠不足傾向にありながら、クラブの入会手続き、レッスンや送迎など、全面的に介助していただいた。

 地元グラウンドゴルフ愛好会はじめカラオケクラブや町内の軽喫茶での一時預かり。さらには、山林所有者の奥さまによるハイキングなど、陰に陽に、介助していただいた方は、優に100人を超えていた。

 私は、持論である「少子高齢化も課題が多いが、むしろ、核家族化の課題が重い。従って、向こう三軒両隣の社会システムを再構築する必要がある」と公言してきた。

 幸か不幸か、妻の病を起点として「認知症の地域介護のサンプルを創り上げた」と自負している。このことは、単に、認知症本人の介助のみならず、必然性をもって、家族への支援に連結していることを強調しておかなければならない。私が公職に専念できたのも、ひとえに、多くの方々の無償の介助と人間愛によるものであることを肝に銘じている。



若年認知症ぐんま家族会会長 大沢幸一 桐生市三吉町

 【略歴】2004年、55歳の妻がアルツハイマー病と診断される。06年に家族会設立、17年会長。著書に「妻が若年認知症になりました」。元桐生市議、県議。桐生工高卒。

2019/03/10掲載

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