2人の恩師 人を豊かにする出会い
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 私は今年で56歳になる。今ここまで多様な面で充実できたのも多くの方々のおかげだと感じている。学生生活では、ボクシングに限らず、何人もの先生と出会い、勉強だけでなく、人生の歩み方を教えていただいた。中でも最良の道に導いてくれた2人の恩師がいる。

 まず1人目は、人生において初めての分岐点を迎えた中学3年生の時に担任を務めていただいた音楽の先生だ。高校受験当時、志望校を決めかねていた。伊勢崎工業高へ志望校を決定したのは、変更期限ぎりぎりだった。先生の後押しが大きかった。志望校の変更ができなかったら、ボクシングに出合わなかったので本当に感謝している。

 先生とはなかなかご縁がなく、久しぶりの再会となったのが、35年ぶりに開催したクラス会だった。先生は教職員を退いた現在でも音楽活動を続けている。合唱団の代表を務めるほどの現役の音楽家で、毎年6月にファミリーコンサートを開催されている。

 中学生時代からの月日を感じさせないほど、情熱と活力にあふれ、年齢を感じさせない。私は「継続は力なり」という言葉が好きだが、先生は多方面でそれを実現され、先生の現在の姿に中学3年生だった当時同様、後押しされている。

 もう1人の恩師は高校時代のボクシング部監督である。この監督と出会っていなければ、100%オリンピックには出場できなかったであろう。当時、ボクシングの指導の時はもちろん、どこで見かけても緊張するくらいのオーラと気迫のある方で、毎日が背筋の伸びるような日々だったが、私に技術はもとより、ボクシングのおもしろさを教えてくれた。

 この監督のおかげで高校時代の33戦で28勝もの実績を積むことができ、学業ではかなわなかった大学進学のチャンスをいただいた。私の母校である日本大は、当時からボクシングにおいて屈指の強豪で、練習が厳しいことで有名だった。そのため私は当初、ほかの大学を志望していたが、監督から日本大への進学を提案された。私のその後の競技人生や成長を考えてのことだったのだろう。

 厳しい練習を恐れ、自分の可能性を萎縮させようとしていた私にとって、感謝してもしきれないほどの監督の優しさであったことを今思い返す度に感じる。結果的に日本大に進学したことでオリンピックに出場することもでき、厳しい練習の中で切磋琢磨(せっさたくま)し合うことで、私の人生は豊かになった。

 この春も多くの別れと出会いがあったはずだ。私にも孫が生まれ、この子がどんな人生を歩み、どんな人々と出会い、成長していくのか大変関心がある。私の恩師のような方々と出会い、充実した人生を送ってもらえることを心から祈っている。



県ボクシング連盟審判長 黒岩守 高崎市上中居町

 【略歴】伊勢崎工高でボクシングを始め、大学生でロサンゼルス、社会人でソウル両五輪に出場。現在はレフェリーを務めるほか、小学生を指導する。サンワ勤務。

2019/04/25掲載

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