心の家族 人としての患者を診る
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 30年たった今でも思い出に残る患者さんがいます。東北から出てきた日雇い労働者の高齢男性は、工事現場で倒れ大学病院に搬送されてきました。研修医の私と少し年上の看護師さんが担当になりました。男性の脳出血は広範囲であり、いずれ亡くなることがわかっていました。私は日常業務の一環として淡々と何の感情もなく、指導医の指示に従い男性の点滴を調整したり採血をしていました。

 ある朝、私が病室にいくと担当看護師さんが患者のベッドの横に座って物言わぬ男性の武骨な手をさすっています。そして彼女は「この手で1人で生きてきたのよね」と言いました。その時の衝撃は今でも忘れません。私の認知が変わったのです。

 医学的処置をするだけの対象が1人の「人」として私の前に立ち上がってきたのです。その人には私の知らない人生があり、苦労があり、故郷があり、家族もいたのだと…。その後から私にはいろんな感情が湧き上がってきました。そして、悲しくなったり寂しくなったりしました。一緒に担当する看護師が自分の姉であり、患者が幼い頃に出て行った自分の父親のように思えてきたのです。

 患者は2週間後に亡くなりました。30年ぶりに再会した姉は弟の遺骨を持って私たちに挨拶して帰っていきました。その姉の後ろ姿も心に残っています。
 医師になって30年の間に医療技術は進歩しました。紙カルテは電子カルテに変わり、新しい医療機械が開発され、医療現場は多忙になり、医師の焦点は「人としての患者」から「病気や障害」だけになってきています。「患者を診ずして病気だけを診る」ような状況になっているのは残念です。

 私たちの心には家族が存在しています。幼い頃に世話してくれた親が心に居る人もいれば、虐待や感情のはけ口にした親が心に居る人もいるでしょう。世話をしてくれた祖父母、保育士、教員がいる場合もあるでしょう。

 私たちの心に存在するこれらの対象を精神分析では「内的対象」と呼びます。内的対象とは「心の家族」のことです。心の家族が私たちの生活に影響を与えます。厳しい上司に虐待した父親イメージが重なることもあれば、優しくしてくれる看護師に母親イメージが重なることもあります。

 講演会で訪問看護師さんが質問してきました。「担当していたおばあさんは亡くなり契約は終わりました。でも1人になったおじいさんが気になって訪ねています。余計なことをしているんじゃないかと」。「会うのがつらいのですか」と質問すると「つらくはありません、心配です」と言います。「それなら、市民として思いやりとして、行ってあげましょうよ」と言うと看護師さんに拍手が湧き上がりました。その看護師さんは、1人になったおじいさんに、自分の父親を重ねていたのです。



精神科医 渡辺俊之 神奈川県厚木市

 【略歴】東海大大学院教授、高崎健康福祉大大学院特任教授を経て、2018年4月に高崎市で渡辺医院を開業。玉村町出身。中央高(現中央中等)―東海大医学部卒。

2019/05/14掲載

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