王者のシューズ 「駄目元」が開いた活路
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 私は大学卒業後、スポーツメーカーで22年間、現職の会社で12年間と、営業一筋で走り続けている。

 25歳の時、販売促進という形で営業を行い、バレーボールとボクシングの担当となった。販売促進という仕事は、影響力のあるチームやトップ選手に自社商品を使用させることでブランド価値や知名度を高め、販売につなげる仕事である。ボクシングはスムーズに対応できたが、競技人口が多くメインの仕事であるバレーボールに関しては、ルールの知識もなく、ゼロからのスタート。苦労したことが今では思い出に残っている。

 先輩から教わったのがトップチームの試合を観戦に行き、監督との関係性を構築していく営業スタイルであった。試合前後にあいさつをして応援に来ていることをアピールした。もう一つは監督の出身高校と大学を血眼になって覚えた。高校、大学、実業団とのつながりを知ることで仕事につながっていった。

 多くのチームを渡り歩くので、一番気を付けなければならなかったのが、余計な情報を言わないことだ。うっかりしゃべって出入り禁止や他メーカーに切り替えされてしまうこともある。私も慣れない時期に監督との会話がなくなり言わなくても良いことを口にしてしまい信用をなくしてしまったこともあった。

 得意としているボクシングについていうと、WBC世界ミニマム級王座を22度防衛し、無敗で引退したメキシコのリカルド・ロペスの契約を取り付けたのが私である。ロペスは1990年、同級王者、大橋秀行の挑戦者として来日した。公開練習でロペスに駄目元で足のサイズを聞き、その日のうちにホテルへシューズを持っていった。履いてもらうと好感触で、この試合で使う約束を取り交わした。

 結果は、ロペスが新王者となり、私が提供したシューズも試合でフルに活用された。その後、22回の防衛戦では全て私の提供したシューズを履いていた。

 これがネットや専門誌で残っているので金額では表せない成果であることは間違いない。一生記憶に残る仕事をしたと思っている。結果の裏には駄目元での行動は大切であることを実感し、現在の仕事にも生かされていると思う。

 44歳で転職した。転職して痛感したことは、今が最も大事であるということだ。オリンピック出場経験やメーカーでの実績も、現在の自分にとっては関係のない過去の話であって、これらは仕事への糧にはなるが、助けてくれることはない。

 そんな中、飛び込んで新規開拓をした時のことが自信につながった。初めは相手にされなかったが通い続けた結果、注文をもらえるようになり、現在も継続して仕事をさせていただいている。これが営業の魅力であり、本質ではないでしょうか。



県ボクシング連盟審判長 黒岩守 高崎市上中居町

 【略歴】伊勢崎工高でボクシングを始め、大学生でロサンゼルス、社会人でソウル両五輪に出場。現在はレフェリーを務めるほか、小学生を指導する。サンワ勤務。

2019/06/17掲載

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