医師を目指す君へ⑤ 医学発展に身をささぐ
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 臨床医になっても、①開業し地域医療に身をささげる②比較的大きな病院に勤務し、専門性を発揮する③大学病院のように研究と診療を行う立場に身を置く―などいろいろな道があり、選んだ道により医師としてのライフスタイルは大きく変わります。

 将来の医師としての方向性を決める時にはまず、客観的に自分自身を評価することが大事です。専門医になっても、進むべき道は多様ですので、自分の得意なことや才能を客観的に評価し、厳しい世界に身を置くために、できる限り得意な分野で力を発揮しなければなりません。

 医師は利己主義であってはならず、自分の能力で対応しきれないポジションにとどまることは医学の発展や社会のためにならず反対です。また、医師は自分自身の意思に多少そぐわなかったとしても、常に医療全体を考え、周囲から期待されて、何らかの責任あるポジションに推された場合には、その要望に応じて、時に厳しい立場に身を置くとの考えも、非常に大事です。

 私は数年間の医師としての経験を経て、32歳から大学病院に勤務することになりました。若く体力もありましたので、大学病院では診療と研究に日々邁進(まいしん)し、帰宅はほぼ毎日深夜になりました。そのため、残念ながら、子育ては妻任せで、また家族と過ごす時間はごく限られていました。

 体力的にはつらかったのかもしれませんが、新人医師の時と違い、日常の診療や手術は自分の骨の髄まで染みついてきた時期でしたので、精神的な苦痛はなく、自由な医師・研究者生活を送っていたと思います。

 そのような生活を数年続けていた頃、大きな転機が訪れました。米国泌尿器科学会で、前立腺がん研究の成果を発表した後に、世界の研究者が集まる小さな会合があり、世界の前立腺がん研究の第一人者であるオランダのエラスムス大のシュレーダー教授と話をすることができました。

 その時は群馬大泌尿器科の山中英寿教授(現群馬大名誉教授)も同席しており、シュレーダー教授と研究内容と考え方が非常に近かったことから、その場で立ち話をしているうちに、私のオランダへの留学が決まりました。

 2002年4月からの1年間と短い留学でしたが、一言で言うと何事にも代えがたい幸せな研究・日常生活を送ることができました。日本での不規則な生活と違い、朝8時頃研究室に行き、午後7時頃には家に戻り、家族で食事をして、残った仕事は家でこなしました。

 余裕のある生活をしながら、多くの研究成果を挙げられたのは、欧州で最高の研究機関の研究体制が当時の日本と比べものにならないほど恵まれていたからであり、日本が国際的に臨床研究の表舞台に立つことは、容易ではないと痛感しました。



黒沢病院院長 伊藤一人 玉村町斎田

 【略歴】群馬大大学院医学系研究科泌尿器科学准教授を経て現職。前立腺研究財団・前立腺がん撲滅推進委員。専門は泌尿器腫瘍全般、がん予防医学。群馬大医学部卒。

2019/07/04掲載

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