いじめとトラウマ Kちゃんの瞳に思う
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 今でも心に残っているいじめの思い出があります。子どもの頃、隣の家に「Kちゃん」という幼なじみがいました。Kちゃんとは家に帰るとよく遊び、ママゴトの相手をしたり、互いの家で一緒に食事をしたり、プールに行ったりしていました。Kちゃんは小学2年に進級すると特殊学級(現在の特別支援学級)に移り、その後から私たちは、ほとんど遊ばなくなりました。

 小学4年の冬、雪の降りつもったある日、彼女が1人で校舎の壁に立たされ、5、6人の男子児童の雪合戦の標的にされていました。そのうちに人数が増え、10人以上の男子が彼女に向かって雪を投げるようになりました。私は友達に促され一緒に雪玉を投げていました。彼女は顔をおさえて座り込み、そして泣きはじめました。こうした彼女の態度が、子どものサディスティックな心に火をつけたのか、雪玉が止まることなく彼女に投げられていきました。

 昼休みが終わると子どもたちが教室に戻っていきます。当時の私には少し後悔の気持ちもあったでしょう。最後まで私は残っていました。Kちゃんが顔を上げて立ち上がり私を見つめていました。雪でビショぬれの彼女の目には涙がたまり「悲しい瞳」でじっと黙ったまま私を見つめていました。彼女は何か言いたそうにしていましたが、私は逃げるようにその場から立ち去りました。

 しばらくして、Kちゃんは家族と一緒に遠い町に引っ越していき、それきりです。

 いじめが後を絶ちません。私が子どもの頃よりも、いじめは陰湿になり、深刻になり、自殺に追い込まれる子どもがいます。「いじめられる側にも問題がある」と言う有識者がいます。それは間違っています。いじめる側といじめられる側を同レベルにして論じることはできないのです。

 私はKちゃんのことを大河内清輝くんのいじめ自殺を受けた1995年の報道で思い出しました。それまで、Kちゃんとの思い出は意識にはあがっていませんでした。いじめる側の子どもにとって、いじめは、遊びの延長や、悪ふざけにしか過ぎないのでしょう。誰かをいじめた体験は大人になれば忘れられてしまいます。しかし、いじめられた体験は「一生の心の傷」としてトラウマになることがあります。

 私の外来にやってくる患者さんの中には、いじめられた経験を持っている人が少なからずいます。いじめのために不登校になっている中学生もいます。いじめられた経験が、人間関係に影響し、生きることに不自由さを抱えてしまう場合だってあるのです。

 今でも時々「Kちゃんの瞳」が心にうかびます。「あの時、どうして彼女に雪玉を投げたんだろう」「どうして雪玉が飛んでくる壁側に立ってあげられなかったんだろう」「Kちゃんは幸せな人生を送ってくれたのだろうか」と。



精神科医 渡辺俊之 神奈川県厚木市

 【略歴】東海大大学院教授、高崎健康福祉大大学院特任教授を経て、2018年4月に高崎市で渡辺医院を開業。玉村町出身。中央高(現中央中等)―東海大医学部卒。

2019/07/07掲載

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