認知症の妻の一時帰宅 現場主義で介護支えて
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 「ボケたら施設に入ればよい」。高齢者の間で、こんな会話が交わされていることを聞くにつけ心を痛めている。「認知症がどういう病気か知っているのか?」と聞き返したくなる。笑い話のようであって、笑い話ではない場面に遭遇した。知人(高齢者)が脳疾患を患った後、医師からアルツハイマー病と診断されたことをもって、ご本人と奥さまが、ご近所で「認知症でなくてよかった」と話されたと言う。その話を聞いてがくぜんとした。

 認知症とは、大別してアルツハイマー型、前頭側頭型、レビー小体型、脳血管性型など、さまざまな種類の症状を総称したものである。

 冒頭に既述したように、認知症という症状について、いまだ十分認識されていない現状を憂慮している。まず、認知症と診断されるまでの本人・家族のさまざまな戸惑い。次第に進行する病変に耐え切れず、かかりつけ医での受診。認知症と診断された以降の生活環境の激変。介護保険制度の申請・認定―。施設にお世話になるまでの時間と苦悩は計り知れない。

 現在、老老介護、認認介護の実態が顕在化しているが、とりわけ、「在宅介護」の困難性を披歴しておきたい。

 2011年2月11日、介護施設から連絡が入った。「奥さまは、感染性胃腸炎です。一時退所願います」とのことであった。私は、言われるままに妻を引き取った。この時、妻は要介護5。幸いにも、妻専用のベッドは、部屋に保管しておいたままだった。

 認知症の中核症状・周辺症状も進行していた。妻の記憶障害や睡眠障害は顕著であった。その妻と向き合っている私も当然のことながら、睡眠障害を呈した。この時、12年間の県議活動の中で、たった1日ではあったが、公務を欠席した。

 わずか5日間の在宅介護であったが、この間、自分のことは、何一つできなかった。ひたすらに妻の介護に明け暮れた。妻が施設に戻った後も、私の睡眠障害は続いた。

 このような、在宅介護を経験した私は、いくら国や厚生労働省が、現状のまま「在宅介護」を推奨しようとも限界があると考える。むしろ、介護人の共倒れという人的社会資源の損失が増大するのではないかと危惧している。

 さらに、核家族化が主たる要因となって地域コミュニティーが崩壊しつつある現状に鑑みて、政府も省庁も国・地方議員も机上の論理に埋没することなく、「現場主義」を徹頭徹尾、追求し、在宅介護が成り立つ生活環境の支援と地域環境の整備を図ることが喫緊の課題であると考える。

 俳優業は、台本を暗記して登場人物に成りきることが仕事である。40年間も俳優業を貫いた南田洋子さん。認知症は、いつ誰が発症するかわからないことを証明している。



若年認知症ぐんま家族会会長 大沢幸一 桐生市三吉町

 【略歴】2004年、55歳の妻がアルツハイマー病と診断される。06年に家族会設立、17年会長。著書に「妻が若年認知症になりました」。元桐生市議、県議。桐生工高卒。

2019/07/08掲載

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