戦争と平和と教育 学ぶ楽しさ ありがたさ
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

 私たち国民を苦しめた戦争が1945年8月15日に終わったからといって、次の日から一転して平和で幸せな生活が始まったわけではありません。まだまだ戦争中と同じ苦しい悲惨な暮らしが続きました。

 私の幼児期は、戦争の真っただ中で高校卒業までの青春時代は、大人たちが日本の復興のために必死に働いている時で、相変わらず我慢、我慢の毎日でした。

 戦後、新しい憲法のもと小学校6年間、中学校3年間の義務教育、六三制が始まりましたが、1クラス五十何人のすし詰め学級、早番遅番の2部授業が続きました。

 戦後9年たった時、私は高校受験でした。前橋の中心部にあった私たちの中学で、高校に行けたのはクラスの半数でした。あとの友人は昼働き、夜定時制高校へ通うか、「金のタマゴ」と期待され就職していきました。高校へ行きたくても行けない友人がたくさんいたのです。

 幸い高校へ合格したものの、入学式までに制服を買ってもらえなかった生徒が、私をはじめ何人もいました。食べ物にも、学問にも飢えている状態で、物質的なものも満たされていませんでしたが、高校での授業は大変充実していて、未知なることに出合い、心が豊かにわくわくする毎日でした。

 父1人の収入で家族7人の生活は苦しく、3年後の大学進学はかないませんでした。もっと勉強したい気持ちが心の底にありましたが、ある方から「勉強する所は大学だけではありません。どこでも、いつでも、いつまでも勉強はできるのですよ」と励まされ、何かふっ切れ、社会に一歩踏み出しました。

 仕事上、謄写印刷技術が必要になり、市の主催する成人学校を受講しました。それまでの受け身だった学校での学び方と違い、社会教育の場では、自ら学びたいものを自主的に学んでいく形で、とても新鮮でした。

 すぐに役立つ実用的な謄写印刷や料理、心を潤す文学、美術、音楽、演劇、郷土史などの講座もあり、市民の要望を取り上げ、講座を組んで下さる市の職員のお力もあり、学びたいことを自由に学ぶことができました。

 きりえも受講し、学んだことを独り占めせず、周りに還元していく大切さを知り、請われるまま、公民館などで指導していくようになりました。きりえを楽しく学ぶ中で、サークルの皆さんが仲良くなり、それが地域を明るくすることにつながっていったのです。

 現在、周りを見ると学ぶ楽しさを味わう暇もなく、受験勉強を一生懸命がんばっている子どもたちがたくさんいます。

 統制や抑圧のない、自ら学びたいものを自由に学んでいける世の中が、これからもずっと続いてほしいと心から願っています。



きりえ作家 飯塚照江 前橋市大利根町

 【略歴】1939年生まれ。6歳の時に終戦を迎える。きりえ作家として活躍する傍ら、元保育士の経験を生かし、教育や子育てについての講演を行う。前橋女子高卒。

2019/08/06掲載

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
関連記事