名前を知るよりも 実物の自然をじっくり
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 かれこれ20年近く、初夏から晩秋にかけては北海道の東部に滞在しているので、写真を撮影する合間に、カヌーや自然散策のガイドをすることがある。

 自然を散策するにあたって、一般的な人がガイドに望むことは主に二つある。道案内と自然解説である。

 人の手がほぼ入ってない北海道東部の天然林を歩く場合、ガイドもどきとしては、まず火山や森や湖や川など、その地域の自然の成り立ちや特徴を説明し、体感してもらうことで顧客満足を図る。

 モモンガやリスなどの哺乳類、ワシやフクロウなどの猛禽(もうきん)類と遭遇する可能性は思ったほど高くないのだ(見たい生物をピンポイントで探すツアーもあるが)。

 本業のガイドであれば、自然の生物全般に詳しいだろうが、ぼくの場合、得意分野は限られているので、きのこや粘菌(変形菌)についての解説が必然的に多くなる。好き嫌いがはっきり分かれそうだが、これがけっこう好評だ。

 森で見知らぬ花やきのこを見つけると、人は、十中八九、固有名詞を尋ねてくる。そして、種名を聞くだけで満足したかのように、他のものへ関心を移していく(名前を覚えるべくメモをとる人はまれである)。

 もったいない! と、思うのだ。植物同定の知識があまりないガイドもどきではあるが(実はきのこの分類も心もとない…)、自然の造形の美しさはわかっていると自負している。そして、日頃あまりお目にかかれない森の生物を「鑑賞」「観察」する面白さもわかっている。

 首からぶら下げたルーペを手にして、これでもう一度見てみてください、と声をかける。国立公園では基本的に草花を採取することはできないので、ルーペを目に当てて、草花、あるいは、きのこやコケなどに顔を近づける。

 草花の構造の妙、雄しべに付いている花粉。小さなきのこの傘模様のグラデーション、あるいは傘裏のヒダの細かいつくり。コケの葉に見える透明で格子状の構造…。小さなルーペがあるだけで、見たことのないミクロの世界を垣間見ることができる。

 もちろん、いろいろな生物の名前を知ることができるのはガイドツアーのメリットだ。しかし、初めて出合う生きものを目の当たりにしたら、名前を気にするよりも、まずはじっくりじっくり実物を見てほしいと思うのだ。

 「観察というのは、何かを見ることではなく、何を見たらいいか気づくことであり、その対象に好奇の目を向けることで、脳が活発に動きだす」とは、粘菌研究の第一人者、北海道大の中垣俊之教授の言葉である。

 自然の森の中で、少々興味を持った生物をじっくり見ながら、あれこれと想像をめぐらせる…。これぞ自然散策の醍醐味(だいごみ)である。



写真家・作家 新井文彦 富岡市富岡

 【略歴】2011年からウェブサイト「ほぼ日刊イトイ新聞」で「きのこの話」を連載中。著書に「粘菌生活のススメ」「森のきのこ、きのこの森」など。明治大卒。

2019/08/14掲載

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