吾妻郡東部に史料 売り出せ真田忍者の里
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

 中之条町を車で訪れたことがある方は「真田忍者の里」の案内を見たことがあると思います。国道145号と国道353号の道路沿い、3カ所に標柱が建てられています。

 真田忍者といえば、甲賀忍者の猿飛佐助や伊賀忍者の霧隠才蔵に代表される真田十勇士が有名です。彼らは映画や小説にでてくる架空の英雄ですが、真田幸村が率いる10人の忍者たちが、大坂の陣で縦横無尽に大活躍する姿に、大正や昭和初期の子どもたちは憧れたのです。

 当時、活動写真の特殊撮影技術によって、妖しい術を使い、時に天井裏に忍び込み、手裏剣を投げて敵を襲う忍者のイメージが定着しました。

 実際に戦国時代に実在した、真田忍者はどのようなものだったのでしょうか?。

 昨年4月に三重大大学院で忍者学が開講しました。学術的に忍者を研究するためです。もともと、忍術は一子相伝、活動内容を他家に漏らすことはありませんから、研究者は新資料の発掘や伝承の聞き取りに力を注いでいます。

 三重県は江戸時代まで伊賀国と呼ばれていました。伊賀流忍者発祥地の伊賀市は「忍者市」を宣言。2月22日を「忍者の日」としています。その日の伊賀市議会では、議員たちが忍者のコスプレをして真面目に議案審議をしているそうです。こうしたパフォーマンスは海外にも紹介されて、クールジャパンの理解を深める一助となっています。三重県を訪れる外国人も年々増えていて、地方創生に大いに寄与しているとのことです。

 昨年は、佐賀県嬉野市で国際忍者学会が開催されました。知事も出席するなど、県をあげて研究者を支援しています。忍者研究は始まったばかりです。

 真田忍者の場合、史料は信州上田や上州沼田ではなく、不思議なことに吾妻郡東部に集中しています。

 中之条町では5年前から「真田忍者ウオーク」を開催しています。今年は古記録に「忍びの上手は古今無双」とうたわれた割田下総守重勝(わりたしもうさのかみしげかつ)のゆかりの地を巡りました。また兵糧丸作りを体験し、忍者の末裔(まつえい)による武術の実演を見学しました。

 思いがけないことに、当日は割田下総の御子孫の方々が沼田氏と東吾妻町から参加され、地元の皆さまと交流を深めることもできました。

 最近はSNSの普及で、中之条が注目を浴びつつあります。割田下総の終焉(しゅうえん)の地や、全国的にも珍しい忍者の墓などの写真をアップしたところ、5分後には全国から「『忍者の聖地』というべき」、「吾妻を訪れたい」という声が複数寄せられました。

 本物には人の心を動かす力があります。来春の大型観光企画「群馬デスティネーションキャンペーン」で温泉と真田忍者を同時にアピールすれば、群馬のブランド力アップにつながると思います。



中之条町歴史と民俗の博物館「ミュゼ」館長 山口通喜 中之条町中之条町

 【略歴】パナソニックを早期退職した後、横浜開港資料館などに勤務し、2016年4月より現職。中之条町出身。東京外 国語大中国語学科卒。

2019/8/31掲載

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
関連記事