精神療法とは 分かってあげること
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 研修医だった時、自殺企図した50代男性が入院してきて担当になりました。彼は中卒で小さな会社を立ち上げ成功していたのですが、バブルの後に会社が倒産し、絶望して自ら命を絶とうしたのです。私は彼に近づこうと、あれこれ聞き出そうとしました。しかし、あまり語ってはくれません。私は若い頃の話、会社を立ち上げた時の話、倒産した時の思いを聞きたかったのですが、一切そういう話題に乗ってきませんでした。

 うつ病が改善して退院が近づいた日、彼は言いました。「先生はきっとお金持ちの家で育ったんでしょう。私の人生とは違いますから…」。「ああ、そうなのだ」と思いました。育ちや立場の違いを忘れていた自分に悲しくもなりました。

 高額の授業料の私大医学部を卒業し、彼の息子くらいの年齢の若い研修医が、母子家庭で苦労し会社を立ち上げ、社会を生き抜いてきた大人の苦労が分かるはずがないのです。生い立ちの違いを私は分かっていなかったし、精神科医という上から目線で接していたことも後悔しました。

 しかし退院の日に彼は大きなプレゼントをくれました。「立派な先生になってください。先生が私のことを一生懸命に分かろうとしてくれたことは、分かっていました。大丈夫です。何とか生きていきます」と言ってくれたのです。患者が私に共感してくれたのです。

 人は自分が生きてきた人生のレンズで相手を見てしまいがちです。自分のレンズを相手の人生のレンズに取り換えて、相手を見ないと、本当に分かってあげることはできません。その人はどんな世界を生きてきて、その人は何がつらいのか、相手の立場になって理解することが大切です。

 「心を理解する心を持つこと」を専門用語でメンタライジングと呼びます。メンタライジングとは相手の立場を分かってあげること、そして、それを理解しようとしている自分の心が分かることです。言い換えれば自分のレンズも相手のレンズも理解できていることなのです。

 「精神療法って何をするんですか」と後輩や学生から聞かれることがあります。私は真面目に「分かってあげることだよ」と答えています。簡単ではなく難しい作業です。こちらが、分かったつもりになっていても、相手は分かってくれたと感じてないことが多々あります。

 「どれだけあなたのことを思ってきたか分からないの!」と怒る母親、その横で「お母さんは何も分かってないよ」と反抗する娘。「なんで俺に言わなかったんだ!」と怒り口調の夫、その横で「あなたには私の気持ちが分からない」と涙する妻。

 必要なことは、「自分は相手を本当に分かっているんだろうか」といった、自分自身を理解する心なのです。



精神科医 渡辺俊之 神奈川県厚木市

 【略歴】東海大大学院教授、高崎健康福祉大大学院特任教授を経て、2018年4月に高崎市で渡辺医院を開業。玉村町出身。中央高(現中央中等)―東海大医学部卒。
 
2019/09/13掲載

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