山岳信仰 廃道巡り、現在を思う
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 「山」は山麓の住民あるいは道行く旅人にとって大きく威厳のある存在です。雷雲が山腹からもくもくと立ち上がり、そのあと雷鳴轟く驟雨に見舞われる現象、豪雨時に土石流が集落を押し流す現象、火山噴火で吹き出す火炎や火山弾なども山を恐ろしい存在と位置付ける発想につながっていたと考えられます。

 山に狩りに入って帰ってこない人がいれば、岩場での転落や道迷い遭難、低体温症ではなく、山の神に捕らえられたと昔の人たちは考えたと思われます。こうしたことから、山は敬わなくてはならない信仰対象となり、山麓や山頂には必ずと言ってよいほど神社や祠が設けられています。

 信仰対象の山に登り、山の神の懐に入って礼拝することで御利益が得られるという発想も全国各地に存在したと考えられ、1人で行くのは怖いから、危ないからということで、集落の住人がパーティーを組んで、年に1度、あるいは祈祷やお礼参りに際して、山を登る風習も全国に見られます。代表的なものは富士講、御岳講などですが、地元上州においても類似のことは行われていたと考えられます。

 例えば、榛名山相馬山を山麓から見上げると榛名山系で1番高いかのようにとがった形状で威厳のある存在ですが、黒髪のような積乱雲を発生させて、山麓に激しい雨を降らせることから黒髪山の別名を持ち、榛東村と山頂に黒髪神社の社殿を擁しています。かつてはかなり頻繁に祈?登山が行われていたと見えて、すでに廃道となっている南面登山道沿いには数々の石碑や祠が見られます。

 山頂直下は非常に険しいため、転落や落石による遭難はかなりあったと思われ、現在は岩登りの技術を持ったメンバーが充実した装備で向かうのでないと危険な状態となっています。しかし、かつての信仰の道をたどってみることは非常に興味深く、100年以上前に設置された鎖が木の幹に食い込んで同化している風景は、人々の長い信仰の歴史を実感させてくれます。

 修験道の人々が本邦の山岳信仰を実践してきた代表者と言えますが、上州では前記の榛名山系のほか武尊山、妙義山、袈裟丸山などにその歴史を感じさせるシンボルが現在も多数残されています。

 近年の技術進歩により登山装備は非常に軽量となりました。この30年程度でも冬山装備は1人30キロと言われた時代が懐かしいぐらいです。しかし、その昔、地下たび、わらじに蓑笠の装備で、石の祠や石碑を背負いあげた人々がいたかと思うと、昔の人はすごかったなあと驚嘆の念に襲われます。

 科学技術の進歩によりいろいろなモノを手に入れ、多彩な能力を獲得してきた現代人ですが、山道を歩きながら、失ってきたものについても思いをはせてはいかがでしょうか。



群馬大大学院医学系研究科教授 斎藤繁 前橋市古市町

 【略歴】日本山岳会群馬支部が主催する「健康登山塾」の講師を務める。著書に「病気に負けない健康登山」(山と渓谷社)など。群馬大大学院医学系研究科修了。

2019/9/17掲載

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