先人を学び、伝える 人物研究は先入観なく
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 各都道府県を代表する歴史上の人物を1人挙げるとすると、宮城の伊達政宗、新潟の上杉謙信、山梨の武田信玄くらいはすぐに思い浮かぶ。

 それでは、隣県である栃木や長野はどうだろうか。これはなかなか難しい。埼玉であれば、今なら、渋沢栄一で間違いなかろう。

 わが群馬はどうかというと、新田義貞が妥当だろう。一つの時代を終わらせ、大転換を成した人物だからだ。

 複数人選ぶ場合、当県では、「上毛かるた」があり、一つの基準が示される。義貞を含め9人が読み札になっている。上毛かるたが作られた時、郷土を代表する人物には他にも候補がいた。戦後間もないGHQの検閲下、選からもれたのが小栗上野介・国定忠治・高山彦九郎である。

 過日、職場に忠治のことを教えてほしいという訪問者があった。太田市にも足跡があるのだが、その時、驚いたのは、若い職員が忠治のことを全く知らないということだった。確かに、最近、テレビで名前が出ることがない。隣市とはいえ地元の人でないから、聞いたことがないのは致し方ないのかもしれない。

 では、太田市出身で、宅跡と遺髪塚が国指定史跡、その隣接地に市立の記念館がある高山彦九郎はどうか。残念ながら、「名前は知っているが、何をした人か知らない」という答えが相当数返ってくることが予想される。彦九郎という人物を一言で説明するのは難しい。江戸中期の勤王思想家だといってすぐわかってもらえるわけではないだろう。

 彦九郎は日記・和歌・手紙以外に著作物はなく、その思想を直截(ちょくせつ)に表現することは難しいが、青森から鹿児島に至る旅の足跡や当時一流の学者・文化人をはじめとする幅広い交友関係から、その人物像を探ることは可能である。

 彦九郎は没後、「伝記」の形で評価する動きが始まる。幕末の吉田松陰・高杉晋作・久坂玄瑞・中岡慎太郎・西郷隆盛といった勤王の志士たちは、彦九郎を自分たちの先駆者として位置づけた。明治維新を成し遂げた人々は彦九郎を高く評価し、政府として顕彰を行っている。これ以降、特に昭和に入ってからは、勤王家として称賛の度合いが著しかった。

 戦後はその反動から、彦九郎は、否定され、無視され、忘れられてしまった。

 否定された時代、すなわち、まだ彦九郎の記憶が残っている時代に教育を受けた人の中には、あからさまに彦九郎を拒絶する人がいる。むしろ、彦九郎を知らない、後の世代の人のほうが、先入観のない見方をするようだ。

 彦九郎の人物像の解明は途上にある。図書館にある各種人名辞典の記載も戦前に書かれたものを引きずっており、書き直せる研究者も少ない。

 今後も郷土を代表する人物、彦九郎の研究を続け、発信を続けていく所存である。



太田市教委文化財課職員 菅間健司 太田市西矢島町

 【略歴】太田市教委文化財課長、教育部長などを務め2018年3月に退職。再任用職員として文化財の保護活用に努めている。高山彦九郎研究会会長。法政大社会学部卒。
 
2019/10/04掲載

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