古墳時代の群馬 おおらかな社会に憧れ
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

 「武人ちゃんたい焼き」ができました。当面イベントでのみの販売となります。粉の配合と火加減によってリアルな埴輪の肌合いになって驚きます。

 「武人ちゃん」でいろいろ調べ物をして面白いなと感じたことを述べます。

 古墳時代は「失われた4世紀」と言われます。中国で戦乱が高まったため歴史書から倭国(後の日本)の情報がなくなってしまうのです。今に伝わる文化を調べると、たいてい「奈良時代に仏教とともに大陸から伝わり」とあり、それ以前がわかりません。発掘調査で暮らしが見えます。

 この時代に精巧な埴輪を作っていたのは日本だけで、中国の兵馬俑は軍事関係が主、中東で土偶があるくらいだそうです。埴輪には人物動物の他、船や組み立てられる家、栃木では織機の埴輪もあります。

 当時はオシャレが盛んで埋葬品からもアクセサリーをじゃらじゃら身につけていたと思われます。素材も水晶・ヒスイ・瑪瑙・黒曜石など豊富です。髪形は明治時代まで前髪を切る習慣はなく左右にきれいに分けていました。巫女埴輪は頭に板を載せています。板にしかみえません。江戸時代まで続く島田髷だと言われていますが、奈良時代は垂髪で長く垂らしています。

 古代はさぞ戦争ばかりだったのかと思いきや、東国は平和なようです。ヤマトタケルも東征を命じられて北陸まで旅していますが拍子抜け。豪族たちが協力するので大きな古墳が作れたとも言われます。戦乱なら城を作ったはずです。上毛野国(後の群馬)は馬や武器を生産して西日本に輸出していたようです。

 多民族でもありました。豪族の長に朝鮮系の特徴があったり、ある調査によると、榛名山周辺にアイヌ語の地名があります。

 食生活では牛も多く、牛乳を煮詰めたチーズとも違う蘇というスイーツがありました。米は災害に弱いので畑作も盛んで、動植物はテレビの「池の水ぜんぶ抜く大作戦」で知られるようになった在来種ばかりでした。

 当時の交通は主に水路で、利根川は南の東京湾に注いでいました。関東平野は水浸しで開拓して田畑を広げました。陸路では東西に延びる幅広い道があり、碓氷・高崎・新田とかに大きな駅がありました。古墳は豪族のお墓というには数が多すぎ、分布を見ると山と平野の境に多いので治水・利水・対災害の役割ではないかと私は思います。治水が一段落すると古墳時代が終わります。

 住居は風通しの良い高床式と半地下の竪穴式が近くにありました。そうです、夏は涼しく冬は暖かくと引っ越ししていたんです。合理的でうらやましいですね。

 便利でないかもしれませんが、古代のこの地のおおらかで豊かな社会に憧れます。



ITプログラマー 藤枝哲哉 太田市矢場新町

 【略歴】アニメーターなどを経てフリーのプログラマーになり、2013年にエールクリエイティブを設立した。県内のIT系のNPO法人でも活動中。太田東高卒。

2019/10/29掲載

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
関連記事