「ジャズをやりたい!」 強い決意が道しるべに
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 僕がいつジャズピアニストになったのか、その正確な日時は分からない。おそらくある時なりたいと志し、少しずつそれらしくなり、今につながっている。プロとしては遅咲きだ。記録によれば2007年の夏頃からなんとなく活動を始めたようだ。12年前、29歳の時だ。そこに至るまでの歩みを簡単に回顧したい。

 クラシックピアノを始めたのは9歳の時、江原満里子先生と峰岸沙織先生に師事した。近所の親友が大変な音楽通で、彼の影響は大きく、中学生のころから徐々にピアノにのめり込み、高校に入った頃は音楽大学への進学をひそかに夢見るようになった。ところがコンクールで挫折しピアニストの道はいったんあきらめることに。そんな傷心のころ、母校渋高の音楽教師の加納一夫先生から東京芸大楽理科への道を勧められた。

 芸大に入り一度は本業の音楽学者を目指した。そのかたわらさまざまな音楽を聴きあさった。特にビル・エバンスのピアノに夢中になり独学でジャズの理論を学んだりした。そして今度はジャズピアニストへの憧れが芽生えはじめた。

 高校生の頃から試みていた作曲も積極的にチャレンジするようになった。大学院の同期で現在作曲家として活躍している阿部海太郎君の影響が大きかった。学生時代でも彼の作曲する曲は本当にすてきだった。

 大学院を卒業したのち就職した。僕は本当に優柔不断な性格で、ピアニストになりたいという気持ちを他人に打ち明けることも、捨て身で演奏の世界に飛び込むこともしなかった。自分に才能がないと判明するのが怖かったのだ。しかし中途半端な就職が長続きするはずもなく2年ほどで辞めた。

 そのころ良いタイミングで演奏者の募集に巡り合った。オールディーズバントの仕事。本当にやりたい音楽とは違うが、とにかく演奏してお金が欲しいという一心で頑張った。仕事はたくさんあった。プロとしての初めての現場でうれしくもあり、たくさんのことを学んだが、体調を崩して辞めることになった。

 そしてようやく僕はジャズをやりたいのだという結論にたどり着いた。ジャズの師匠の門を叩き、独学ゆえのいびつな基礎を正してもらい少しずつジャズの現場を踏み始めた。それが冒頭述べた07年夏頃。遅咲きの分、今日まで必死の12年だった。本当はもっとストレートにジャズの道にチャレンジすべきだったかもしれない。しかし当時は自信がなかったし、その時々の周りの声に流されてしまった。

 ともあれ僕のような回り道をした経験から若い方に伝えたいこともある。本当にやりたいこと、なりたい自分があるのならたとえ何歳であってもチャレンジする価値はあるということだ。決して遅すぎることはない。



ジャズピアニスト 保坂修平 東京都足立区

 【略歴】渋川市観光大使。「俺のフレンチ」などを展開する「俺の株式会社」音楽部門首席ピアニスト。「タペストリーズ」などのCDを発表。渋川高―東京芸術大卒。

2019/10/31掲載

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