汗と思いと 「全員駅伝」象徴する襷
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 秋になり冬が近づいて、金木犀(きんもくせい)が街角に香るころになるといよいよ駅伝シーズンの到来を感じます。駅伝競走は1917年「東海道駅伝徒歩競走」が始まりで、京都の三条大橋を出発、東京上野不忍池までの23区間で行われました。20年には箱根駅伝、京都学生駅伝が続いています。

 駅伝の人気は高く、都道府県の代表チームで青森-東京、大阪-下関、九州一周駅伝などが国道を使って以前は行われていました。当時は監督車と言ってチームに1台ジープ型の車がついて選手に激励をしたものです。

 何しろ距離が長いので試走などできません。選手はそのコースをぶっつけ本番で走ります。ジープの人たちは地図でコースを知っているのですが、速く走らすために、中継所ではないのに「このカーブを曲がれば、中継だ」と檄(げき)を飛ばします。そして選手がカーブを曲がってがっくりしたら「間違った、次だ、次だ」などむちゃな応援でした。怒ってしまって、歩いた選手もいたそうです。

 ほろ付きでないジープは運転席と助手席はヒーターが効いているのですが、その後ろは寒さが厳しく、トイレを我慢しなくてはならず、ジープも大変でした。最近の監察車と言う名前になった伴走車の応援は品のあるものになって往年の駅伝ファンには物足りなさを覚えます。

 ところで、伴走車の話より選手の話です。駅伝は1本の襷(たすき)を選手が繋(つな)ぎます。チームの絆として思いを強く込めているもので、手製で作っている大会もあります。大学女子駅伝は補欠の選手全員が一針、一針必勝を期して丁寧に作っていました。襷の裏には全員の思いを一言書いたものです。ヤマダ電機でも襷の裏に選手が一言書いています。

 当日はきれいにアイロンをかけて、1区の走者が持っています。監督が持っている場合もありますが、監督が緊張して自分が肩にかけているのを忘れて、選手に「襷は大丈夫か」と話して失笑を買っている場面もあります。

 この襷、1区が肩にかけてスタートする時は真新しいものですが、2区、3区と繋いでいくうちに選手一人一人の汗が襷に染みてきて、だんだん重くなってきます。また、肩に擦れ、腰のランニングパンツに入れるので丸みを帯びたものになって繋がれていきます。この重みと丸みはこれまで繋いでくれた選手の力走と仲間に次を託す強い思いの結晶となっていきます。

 アンカーに繋がる時、アンカーの選手はこの襷を肩に掛けると同時に、1区から繋いでくれた仲間の汗と思いを全身全霊に感じて走りだすのです。「全員駅伝」と呼んでいるのですがこの全員駅伝がアンカーに託されます。チームプレーの最高に昇華されたもの、その象徴が襷です。ぜひ、この駅伝シーズン、襷にもご注目ください。



ヤマダ電機陸上競技部女子中長距離監督 森川賢一 吉岡町大久保

 【略歴】2012年から現職。13年から6年連続で全日本実業団対抗女子駅伝8位入賞。仏教大監督時の09、10年に全日本大学女子駅伝で連覇。京都教育大卒。

2019/11/15掲載

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