消えゆくものの… 隠語が語る職人の歴史
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

 特定の仲間同士に通じるように仕立てた言葉を「隠語」と言う。われわれ塗装業界にもあるが、消えようとしている。残念な話だが、理由は分かる。言葉としての品格が乏しいのである。決して高いと言えない職人の地位だが、現場で働く泥臭く懸命に生きた先人たちを語らずして説明できない。

 昔は小規模家族集団で個々の能力に頼るしかなかった。そのためか、愛想一つ言えない不器用な男でもそれなりに存在感はあった。腕が値打ちとなる「ものつくりの世界」で、「見て覚えろ」は戦前までの話だが、気風として残ってはいた。今の若者にそんな昔話をしても聞いてくれるはずもなく、「すぐに戦力」が必要な現代において、現代人から見れば非効率で間抜けな施策となる。

 極めて日本人的で繊細なものつくりには覚悟が必要とされ、精神修行から鍛えるやり方だった。下積みは当たり前で、小遣い程度しかもらえない時代、「人の値打ちを腕で測る世界」にあって質問をしなければ、兄弟子は教えてくれることもなく、質問できたとしても恐る恐るであった。

 特に「言葉で説明できない動作や感性」は、その場その時の中でしか感じ得ない部分であり、聞く者の技量が「同等以上」に達してなければ分からない。ここが一番肝心なところなのだが、凡人には分からない領域だ。暗黙知を理解するには、体験だけでは伝授できないすごさだ。中途半端では簡単でなかった。だから、気難しく近寄りがたいとさえ言われる理由ともなった。笑えない過去の話だ。

 目くるめく時代、業界用語も翻弄(ほんろう)されている。かつて塗りは分業的に発展した。店それぞれに特徴があった。幾多な交流を経て今があるわけだから、くだらないと思っても言葉として残しておきたい。例えば、話し言葉で「きょう給料日、1万5千円もらって、一杯飲んで帰るか」を隠語でしゃべると「きょうはオユウ日、ホンレーでマツ食ってけえるか」である。

 オユウとは、お金のことで給金のことである。悪い表現で「遊金」を略した隠語である。給金は月2回払いの時代だった。「マツ」とは酒のこと。語源を明治生まれの親方から聞いたことがある。

 親方によると、ラック虫の分泌液から採集した液にメチルアルコールと松ヤニを混練し、熱をかけ生成したものを「ラックニス」と呼び、塗装の必需品だった。金に困った酒飲み職人が「ラックニスを作る」と体裁を繕い、害を承知でメチルアルコールを飲んだらしい。生成に松ヤニを使うから酒のことをマツと言い換えたのだろうとのことだった。落語のような落ちである。

 今の時代、低俗でがらの悪い下品な言葉として使うすべもないが、過去、連綿と続いてきた隠語の歴史を消し去るわけにもいかない。



日本塗装工業会県支部長 木暮実 高崎市井野町

 【略歴】1975年に高崎市で木暮塗装を創業(現在は会長)。2008年、厚生労働省の「卓越した技能者(現代の名工)」に選定。武蔵野美術大造形学部中退。

2020/1/21掲載

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
関連記事