食べられなくなったら 穏やかな最期を願う
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 私は療養病棟で看護師をしています。たくさんの管につなげられ、意思疎通もできない状態で入院している患者さんの家族が「本人も望んでなかったし、私たちも延命治療は望みません」と言うことがあります。何をもって延命と思っているのか人によってまちまちです。

 医療も延命も目的ではなく、本人が少しでも幸せに生きるための手段の一つです。こだわってほしいのは手段ではなく目的。まずはあなたの考えを伝えてください。生きる目的はなかなか言葉にできないかもしれませんが、まずは「生きててよかったと思うときはどんなときか」を考えてみてください。

 いつか人は、食べられなくなる時がきます。食べないから死ぬのではなく、死ぬから食べられなくなってくるのです。ゼロか百かではなく、「点滴7割、口から3割」「胃ろう8割、口から2割」というのもアリです。点滴しながら最後までお楽しみ程度にアイスやプリンを食べているという患者さんもいます。

 私だって最後まで口から食べたい! ただ、最後は苦痛な症状(発熱、痰(たん)が増える、嘔吐(おうと)、むくみ等)が表れ、どんな方法でも栄養を補うことができなくなる時期がきます。本人に穏やかに過ごしてもらうためには点滴も最後は減量、または中止した方がいい場合が多くなります。

 肺はとても弱い器官です。少しでも水分が多いと、肺に水がしみ出て痰が増えて苦しくなります。体全体のことを考えれば点滴をした方が良いとなりますが、一番弱い部分の負担を減らして楽に過ごしてもらうためには、点滴を減量あるいは中止するのがベストになります。

 そんなふうに、医療は体全体のバランスを考えながら行っていくものです。

 終末期は「もうすることがない」とあきらめの連続のように思うかもしれませんが、そうではありません。いかにつらさを取り除き、穏やかに過ごしてもらうか積極的に行動することの連続になります。積極的な行動の中に「なにもしない」という選択も含まれていくのです。

 「できるだけのことをした」というのを「できる限りの医療を施した」と思っている人は多いと思います。それも尊い考え方です。でも私は「できる限りつらい思いを取り除くことができた」と思うようになってほしいです。

 最後につらい治療を「なにもしない」と選択することは、家族にとってはつらいことです。いろいろな葛藤もあります。大切な人につらく苦しい最期を過ごさせるより、穏やかに逝かせること、それも「愛」だと思います。その愛を選んだ家族をたくさん見てきました。私はそんな家族に心から敬意を表します。

 あなたとあなたの大切な人も、穏やかな最期を迎えられることを願っています。



看取りコミュニケーション講師、看護師 後閑愛実 太田市内ケ島町

 【略歴】看取(みと)りコミュニケーション講師として2013年から研修や講演活動を行う。著書に「後悔しない死の迎え方」。埼玉県上尾市出身。群馬パース看護短大卒。

2020/1/22掲載

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