平成の三つの発掘成果 馬とぐんまの深い関係
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 元号が「令和」になって半年以上がたっていたにもかかわらず、私の中では、ずっと「平成31年」と「令和元年」が同居していました。ですが、年が改まった令和2年元旦、「『平成』は終わったんだなあ」と実感し、過去として振り返るようになりました。

 そんな私が平成時代の発掘調査を振り返る時、心を奪われた発掘成果が三つあります。

 一つ目は、昭和の終わりから平成の始まりのころ、子持村北牧(当時)でその姿を現しました。それが「黒井峯遺跡」(国史跡)です。6世紀に噴火した榛名山、その時に噴出した軽石が厚く降り積もり、当時の人々の暮らしが丸ごと埋め尽くされていたのでした。次々に明らかになる発掘成果はまさに異次元レベルでしたが、人々の居住エリアに家畜小屋(現在では馬小屋と判明)が存在することでも大変注目を浴びました。

 二つ目は、昭和が過去となりつつ、平成を実感として感じ始めたころ、同じく子持村白井(当時)で大変マニアックな発掘成果が注目を浴びました。それが「白井遺跡群」です。黒井峯遺跡と同様の軽石に覆われた古墳時代の馬の足跡が無数に発見され、それまで誰も知らなかった当時の馬の生態の一端が明らかにされました。

 そして、三つ目は、平成が終わりを迎えようとするころ、渋川市金井で「世紀の大発見」がありました。それが日本中を驚かせた「金井遺跡群」です。「甲(よろい)を着た古墳人」と呼ばれた人物やこの地で生まれ育ったと推定される馬が榛名山噴火で発生した火砕流に被災した状態で発掘されたのでした。

 これら三つに共通することは、いずれの発掘成果からも人と馬との深い関わりを彷彿(ほうふつ)とさせることです。

 古墳時代になって日本列島に馬が到来したことは多くの人が認めることです。その一方で、渋川を中心とした群馬県地域で上記のような発掘成果が次々と挙げられることには、「保存状況の良い地域の遺跡だから見つかるのであって、本来は日本各地にあるはず」とかつては考えられる節もありました。

 しかし、研究が進展した現在では、古墳時代に人と馬が色濃く共存する光景は特別であり、当時の群馬県地域がその一つだったのではないかと考えられるようになってきました(このことを解き明かすシンポジウムが2月2日に県立歴史博物館で開催されます)。

 ここ「ぐんま」は「群れる馬」と書きます。その名の由来には諸説がありますが、古墳時代の馬と人との深い関係が契機となったという学説があり、私もこの学説を支持しています。そのように考えると、1400年も前の遠い昔の遺跡のことではありますが、群馬県民にとっては、知っておいても損はないことの一つなのかもしれません。



県立歴史博物館学芸係長 深沢敦仁 高崎市上中居町

 【略歴】県埋蔵文化財調査事業団や県教委文化財保護課で文化財保護行政に携わり、2016年から現職。同志社大―専修大大学院博士後期課程修了。博士(歴史学)。

2020/01/23掲載

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