道を開く 信念にうそのない決断
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 4年前の冬、指揮者になることを応援してくれていた父が急逝した。前日の電話でも元気だっただけに信じられない事態だった。2013年の渡欧以来、まさか父の葬儀のために帰国することになるとは想像すらしていなかった。

 葬儀も終わり、もう完全帰国をしようと考えた。ヨーロッパで仕事が全く見つからなかったからだ。しかし、「夏までは頑張ってみたら」という家族からの後押しを得、その年の夏までをヨーロッパでの区切りと自分で定めた。

 約束の夏が迫った6月、逃げ腰だった国際指揮者コンクールへ挑戦し、賞をもらうことができた。「これで道が開けるかも」という期待が生まれた。コンクールの副賞としてヨーロッパでのコンサートを約束されていたからだ。しかし、そのコンサートが実現することはなく、淡い期待に翻弄(ほんろう)されながら夏は過ぎ、自分の進路を見失っていった。

 翌年1月、日本の歴史ある劇場がアシスタント指揮者のオーディションを開くという情報を得た。わらをもすがる思いで早速応募。書類選考をパスし、日本でのオーディションへ挑むことになった。

 オーディション内容は、オーケストラとの練習、初見演奏(5分前に楽譜をもらい、その場で素早く理解してすぐ演奏するというもの)、ピアノ演奏、面接だった。一通り終わりホテルへ帰ったところへ一本の電話が入る。劇場のプロデューサーからだった。「劇場へ戻って来られるか」と言われ、再びホテルを出た。

 個室へ通され開口一番「君を採用したいと思う」。「将来この劇場を牽引(けんいん)する指揮者になってほしいとの話が会議で出た。見習いとして経験を積んだら、翌年には専属指揮者の一人として長く携わってほしい」と続いた。天にも昇る気持ちだった。家族を安心させられる、何よりそれが一番うれしかった。

 しかし、ホテルへ戻り布団へ入ると、「お前は何のためにヨーロッパへ飛び込んだんだ」という自問自答が脳内を巡った。3日間考えた揚げ句、内定を辞退してしまった。

 ヨーロッパへ戻り再び指揮者としての道を模索する日々。辞退とともに腹をくくったはずだったが、「ようやく必要とされる場所や安定が保証されたのに」という自分と「いや、ヨーロッパで自分の夢に挑戦し続けるんだ」という自分。朝目が覚めた瞬間から寝るまで、2人の自分が葛藤する。苦しい時間だった。

 あれから3年過ぎ、ヨーロッパで指揮者として人並みの生活ができるようになった。

 難しい道を選択することは決して美談ではない、ある意味の自己満足である。だからこそ、決断の時は自分の信念にうそをついてはいけない。決断に対し責任を持つという自覚こそが道を開く原動力だと信じている。

 毎年1月になると、寒さとともに心身が引き締まる。



ハンガリー・ソルノク市立交響楽団アシスタント・コンダクター 金井俊文 ハンガリー・ブダペスト

 【略歴】2016年にアラム・ハチャトゥリアン国際指揮者コンクール特別賞、19年に上毛芸術文化賞受賞。大泉町出身。ハンガリー国立リスト音楽院大学院指揮科卒。

2020/01/24掲載

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