全町民強制避難区域 いつかまた浪江の空を
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 ―遠く遠く窓の外眺めて元の未来探すけれど/どこにあるの-。

 東日本大震災から間もなく丸9年という月日が流れようとしている。わが故郷―浪江町は震災の直後に全町民強制避難となった。今改めて「全町民強制避難区域」と言う現実に起こった数えきれないほどの思いや感情を振り返る。

 私たちは当たり前に過ぎない、何ともないこの日常に生きている。慣れた道から慣れた景色の中で通勤したり、通学したり、くだらないことで笑ったりけんかしたり、いつものように…。その当たり前が突然なくなってしまった。

 町がそのまま存在しているのに住めなくなってしまった喪失感から今まで味わったことのないような感情が勢い良く心を揺さぶるが、それを表現する言葉が見付からない。そんな中、急に思いが心の中で流れ出し、一気に舞い降りてきた震災3日後の真夜中、避難先のトイレで携帯につづった。

 -僕らの町は海も山もある/素晴らしい自慢の町さ/どうか希望の光よ今ここで輝いて…/暖かい手が止(や)むこと知らずに/必ずつながっていること/忘れないで僕たちは絶対、生き続ける…つながり続ける…-。

 後にデビューアルバムに「浪江町で生まれ育った。」と言うタイトルで収録した。ただ、町から離れた震災3日後の思いとは裏腹にやっとの思いで入域できた数カ月後の浪江町は荒れ果て、津波の被害も手つかず。町の中は誰も居ない、車も走らない。何よりも…音がない。ただただ怖かった。6頭の牛が車道いっぱいに横に並び、町の中を歩いている姿を目の当たりにした時は、とにかく衝撃的だった。

 浪江町が壊れていく…。この表現も含め、感情とぴったり合う言葉がいまだに見付からない。ただ、見上げた空があまりにもきれいで、この美しさはここでしか見られない特別な空だった。むなしさと無力さでそのまま浪江町から立ち去りたくなくなった。このままここに置いていってほしいと思ったあの時の気持ちは今でも忘れることはない。

 震災の約2年後にある作曲家と共同で作り始めた曲があった。できた頃には心がついていけなくて葛藤が続き、離れた曲でもあった。その曲と向き合えたのはさらにその約2年後。2015年3月11日に発表した「いつかまた浪江の空を」である。切実な思いの中に自ら希望をつづった曲だが、希望を歌うにはまだ心がついていけなかった。

 ただひとつだけ思った。また浪江町のきれいな青空の下で、当たり前に過ぎない日常があって、人々の生活が潤い、笑い声や自然の鳴き声たちであふれている浪江町を見てみたい。そう思った。まだまだ復興には程遠いのが現状。だけど未来の浪江にささぐ…いつかまた浪江の空をあなたと眺める日まで私は諦めない。



シンガー・ソングライター 牛来美佳 太田市

 【略歴】福島県浪江町で育ち、東日本大震災発生時は福島第1原発で働く。多くの命やモノが失われ、「想いを伝え続けたい」とシンガー・ソングライターとして活動。

2020/02/11掲載

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