多彩な伊勢崎銘仙 流行担った図案職の腕
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

 伊勢崎銘仙の魅力を伝える中で、さまざまな場所に出て行くことがとても多くなりました。

 この1年を振り返っても、市図書館や独協大、東京造形大での銘仙講座、さいたま市で開催された「きものサミット」、松屋銀座でのメイセン展、ロンドンのビクトリア&アルバート博物館で行われた「Kimono:Kyoto to Catwalk」レセプション…。全て銘仙に関わったおかげです。

 大勢の前で話したりすることが苦手な私でも、なんとかハードルを越えてきました。いつも隣には、元気の塊のような、いせさき銘仙の会代表の杉原みち子さんがいます。プラス思考のパワーと巧みな話術で銘仙を語る姿は、たくましく果敢で、時に吹き飛ばされそうになるほどです。

 東京造形大主催の「これからメイセン」は残念ながら、中止になりましたが、彼女の並外れた行動力で、吹き荒れるコロナ禍の中でも次の銘仙イベント企画が進行中です。

 行く先々で必ず聞かれることがあります。「銘仙の柄や色のデザインはだれが考えたの、昔のものなのにとても現代的で…」。アンティーク、ビンテージものの銘仙は、デザインと色彩が驚くほど豊富です。私が銘仙に魅せられた原因もそこにあります。

 花鳥風月は当たり前、アールヌーボー、アールデコ柄、更紗(さらさ)、建物、道具、果ては時代を切り取ったキャラクター柄等々。私のコレクションにも、1953年英国のエリザベス女王2世戴冠に合わせた、ウエストミンスター寺院とバラに囲まれた王冠が写実的に織られたものがあります。

 銘仙が最盛期だった大正から昭和時代に、図案職というデザインを売る職業がありました。大阪、京都、名古屋、東京の大手デパートでは、美術学校卒の人を雇い入れ、図案の描き手にしました。洋行帰りの人が、エッフェル塔や凱旋(がいせん)門、パリジェンヌを描くことなんて、朝飯前だったと想像できます。

 伊勢崎でも何十人か図案職がいたようです。「絵描き」と呼ばれる人を何人も抱えて図案を描かせていました。大体が縦75センチ、横35センチ前後の、1柄分のボール紙を大量に持って機屋にセールスに行き、1枚いくらで販売したようです。銘仙がカジュアル着だったからこそ、自由闊達(かったつ)な模様が次々に生産され「銘仙が流行をつくる」時代があったのです。

 市図書館が、銘仙のアーカイブ化に取り組んでいます。ボランティアで元職人の聞き取り調査に同行していますが、今まで図案職や絵描きの人からのお話を聞ける機会に恵まれていません。銘仙を語る上で、どうしてもお会いしたい職業の人です。お心当たりのある方は私のHP(isesakimeisen.com)か市図書館へご連絡ください。



伊勢崎銘仙プランナー 金井珠代 伊勢崎市波志江町

 【略歴】2016年に併用絣(がすり)を復活させたプロジェクトの呼び掛け人を務めた。1998年に伊勢崎市観光協会(現観光物産協会)臨時職員となり、21年間勤務。

2020/04/08掲載

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
関連記事