甲を着た古墳人 先祖の歩みに防災学ぶ
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

 子どもの頃、米国のテレビドラマ「タイムトンネル」をよく見た。その影響か、火山灰を道具に歴史研究に関わりながら、各地を駆け回ってきた。昔からすれば、今はネットのおかげで、あのネコ型ロボットのどこでもドアとタイムマシンを仕事場に常備しているようなものである。

 さて、縄文時代以前の人々の行動範囲もかなり広かったと思われるが、特に古墳時代の群馬は東日本で指折りの先進地で、それ以降も県内のほぼ全域が人々の活動域になってきた。その痕跡が、徐々に形成される土壌や地変によって県内のいたる所の地中に保存されている。

 過去の人々の生活を解き明かす埋蔵文化財の調査は、開発経費の増大や工期遅延などで時に煙たがられる。しかし、その成果は歴史教育以外に、防災・減災などに役立つ。最近、土木工学界では、城郭や古墳など歴史的建造物の構築過程の解明や、修復などに自身の経験や技術を生かせることが認識されつつある。

 私と若井明彦群馬大教授(地盤工学)は、2016年の熊本地震による熊本城や古墳の被災状況視察を機に、考古地盤工学を提唱している。古代の技術や被災情報などを、地盤工学に生かそうというわけである。昔の人々は、重機や電気がなくても、城郭、古墳、用水路などを造り、被災した際には社会体制に応じて対応してきた。さらに、発掘調査では、それらの成功例だけでなく、失敗例もわかる。

 さて、12年に渋川市金井東裏遺跡で発見された、甲(よろい)を着た古墳人は、多方面に衝撃を与えた。彼らは、榛名山の噴火で発生した高温の砂嵐の犠牲者たちである。

 この大発見もあって、渋川市ではここ数年、榛名山の古墳時代の噴火の跡をたどる会が開催されてきた。活火山対策の強化を目的とする15年のいわゆる活火山法の改定により、関係機関は対策の具体化が必要になった。遺跡での発見が物語る通り、榛名山も立派な活火山である。

 今後の防災計画では、地形地質や噴火履歴などの情報が基礎となる。従来、情報収集は主に研究者個人に頼ってきたが、今後は行政や地域の方々からの積極的なサポートがあると良い。

 実は、甲を着た古墳人たちが発見された畑は、大学の同級生の家の所有地であった。約40年ぶりに会った同級生の変わらない姿と、変わってしまった自分。時間旅行の元祖浦島太郎のような気分になった。その後、地元出身の学生から、畑がどんど焼きの場所だったことも聞いた。

 彼らが眠っていた場所は、地元の人たちの祭事の場となっていた。世間は狭いというが、人類学的にみれば私たちは皆親類関係にある。住民が一緒に生活の場の特性を知り、先祖の歩みに学ぶことが地域防災上の基本と思う。



火山灰考古学研究所所長 早田勉 前橋市天川原町

 【略歴】県の金井東裏遺跡出土甲着装人骨等調査検討委員会委員を務めた。専門は自然地理学。長崎県出身。東京都立大大学院理学研究科博士課程中退。博士(理学)。

2020/04/23掲載

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
関連記事