正しい歴史認識 杉原千畝の功績を実感
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 映画『杉原千畝』をご覧になった方も多いと存じます。杉原千畝に関して忘れられない経験があります。米国・ピッツバーグ大に研修医として留学中だった1990年代のことです。

 40代のアイルランド系米国人夫婦が、ともに血圧が高めなことを心配され受診されました。高血圧やその合併症に関して一通りの説明をした後、こんな質問がありました。

 夫「ドクターハシモトは日本人ですか?」。私「そうです。ずっと日本にいて、つい最近ピッツバーグに来ました」。夫「日本人ならチウネスギハラを知ってますね」。私「チウネ、知りませんが…」。夫「彼がいなかったら私たち夫婦は存在していなんです」。私「どうしてですか?」。夫「私たち夫婦の両親は第2次大戦時、チウネスギハラが書いてくれたビザのおかげでヨーロッパからアメリカに亡命できたのです。その後それぞれの両親から私たちが生まれ結婚しました」。私「そうだったんですか。その人は有名な方なのですか?」。患者「当然です」。私「後で調べてみますので、名前を書いてもらえますか」。会話はそこで終わりました。

 夫は診察机の上にあったメモ用紙に「CHIUNE SUGIHARA」と書いて私に渡し、診察室を出て行きました。

 杉原千畝は第2次世界大戦中、リトアニア領事館に赴任しました。そこにはナチス・ドイツの迫害から逃れてきたユダヤ系難民が欧州各地から押し寄せました。杉原千畝は外務省からの訓令に反して、大量のビザを発給し、6千人にのぼる避難民を日本の神戸経由で米国に亡命させ、彼らの命を救ったのです。

 日本政府はドイツとの同盟関係上、ユダヤ人迫害を黙認してきました。そのためユダヤ系難民にビザ(通過査証)を発給することを許可せず、杉原千畝の人道的行為は長く歴史の裏方へ葬られました。2000年、河野洋平外相による公式の名誉回復がなされました。

 米国の首都、ワシントンにあるホロコースト記念博物館では、名誉な行為を行った唯一の日本人として彼が展示されています。米国滞在中、たくさんのユダヤ人医療関係者が私にとても親切に接してくれたのは、杉原千畝の功績と実感しました。

 戦後生まれの私は、第2次大戦は遠い昔の出来事と思っていましたが、杉原千畝が救った人たちから生まれた人を患者として診察する現実に、歴史の連続性を強く認識しました。また敗戦国としての負い目からか、ともすると日本のみが戦争で罪悪を犯したような歴史教育も、どこか間違っているのではないかとこの時から思うようになりました。将来の日本や世界を担う人々には、正しい歴史教育と歴史認識が必要であることを強く感じます。



埼玉医大総合診療内科教授 橋本正良 埼玉県毛呂山町

 【略歴】元医官。米国での総合診療医研修やアフリカでのPKO活動に従事。2等陸佐で退官し、神戸大大学院教授を経て現職。粕川中―前橋高―防衛医大卒。

2020/5/2掲載

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