パリ改造計画と感染症 災難から何を学ぶか
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 新型コロナウイルスの感染拡大によって、世界的に人の往来を規制する動きが続く中、日本も入国規制措置を取ったことで訪日外国人観光客は大きく減少しています。

 財務省が公表した2020年2月の国際収支統計(速報値)によると、来日客の国内消費など旅行収支の黒字は前年同月比71%減の579億円と、15年9月以来の低水準となりました。日本の観光産業が順調に成長を続けていただけに、国内の経済にも大きな影響が出ています。

 大変な苦境ではありますが、一方で、感染症の蔓延(まんえん)が政治経済や文化を大きく変容させてきた歴史があります。

 例えば、パリが世界屈指の観光都市になったきっかけの一つが感染症の流行です。19世紀半ば、産業革命が本格的になった頃、仕事を求めてパリに移住する人が急激に増え、人口密度が高まりました。加えて、それまでのパリは不衛生で悪臭に満ちた街であったためにコレラが蔓延し、多くの犠牲者が出ました。

 この危機に王政が始動させたのが「パリ改造計画」です。衛生面や交通網などの改善を徹底したほか、景観の美化も強く意識された計画で、皇帝ナポレオン3世の下、セーヌ県知事を務めたジョルジュ・オスマンによって行われました。パリの華やかな街並みのほとんどはこの時に形成されたと言われています。

 まず、街に光と風を入れることを目的に広い大通りを設置し、交通網の整備を行うことで物流機能を大幅に改善しました。次に、上下水道の整備、学校や病院などの公共施設を拡充したほか、学校での教育によって衛生面を大幅に改善し、コレラの抑止に貢献しました。

 また、オスマンは景観の美化にこだわりをもっていたため、街路に面する建造物の高さや屋根の形態などを一定に制限し、市街地がシンメトリーで統一的な景観になるように配慮しました。さらに、ノートルダム大聖堂で有名なシテ島はもともと治安の悪い地区でしたが、架橋や道路建設によって清潔な空間に一新し、傍らで、ルーブル宮やオペラ座なども建設しました。

 一連の都市改造は「オスマン化」と称され、パリを訪れる各国の政治家を驚嘆させます。そして、フランス国内にとどまらず各国における都市建設の手本とされるようになりました。コレラの蔓延は災難でしたが、その経験がパリを華の都へと成長させたのです。

 新型コロナウイルスの感染拡大によって世界的な危機に直面していますが、私たちはこの災難から何を学ぶかという冷静な視点を持ち、行動していく必要があります。混乱を収束させるまでの試行錯誤は、失敗も成功も後世への貴重な記録となるからです。人類の英知がウイルスに打ち勝ち、一日も早く平穏な日常を取り戻せることを祈ります。



グローバル観光戦略研究所研究員 大井田琴 高崎市石原町

 【略歴】民間企業、下仁田町観光協会を経て現職。同協会で日本版DMOの立ち上げに携わり、インバウンドの市場調査や国内外向け広報も担った。二松学舎大卒。

2020/05/15掲載

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