第九のメッセージ 人類は乗り越えられる
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 日本政府が緊急事態宣言の延長を視野に入れ始めたとのニュースを聞きながらこの原稿を書いている。

 ハンガリーでは3月上旬に非常事態宣言が出された。私の住む首都ブダペストは、春から夏にかけて多くの観光客により街がにぎわう。雄大に流れるドナウ川、透き通った高い空、緑があふれ、100年を超える建物が並ぶこの街は、いつからか“ドナウの真珠”とたたえられ、ブダペストの街並みそれ自体が世界遺産に指定されている。

 しかし今は国境封鎖、また外出禁止令により人の往来が消え、街は閑散とした状態だ。無期限の宣言により、私自身ブダペストの自宅にこもっての生活が続いている。

 私の生業とするクラシック音楽のコンサートも次々と中止となり、その影響は年末の公演にまでわたる。今年はドイツの作曲家、ベートーベンの生誕250年という記念の年ということもあり、彼の作品を取り上げるコンサートが世界中で予定されているだろう。私も有名な交響曲第9番(通称「第九」)のコンサートをはじめ、いくつかのコンサートを指揮することになっていた。

 第九の歌詞にはドイツの詩人、フリードリヒ・フォン・シラーが書いた「歓喜の歌」が使用されている。ドイツ語で書かれた詩だが、要約していくと一つのテーマが見えてくる。それは「人類愛」である。人種や国家の違いを超えて助け合うというシラーの思想に、ベートーベンは共感し、自分の交響曲に取り入れた。

 第九の歌詞の中に次のような一節がある。「例え何かの理由で私たちが引き裂かれたとしても、全ての人々は手を取り合い再び一つとなる」。コロナショックで世界中がパニックになっている今だからこそ心に響く。200年の時を経ても第九が演奏され続ける理由、それはベートーベンが全世界に向けた普遍的メッセージだからである。

 私たちは元の生活を取り戻せるのだろうか? 不安を抱えるのは老若男女皆同じだ。さまざまな情報がたやすく手に入り、また発信できる現代において、不安による混乱や責任のなすり付け、一歩間違うと自己中心的行動に陥りやすい危険な状況とも言える。

 こんなときだからこそ共同体感覚を持ち、社会全体の幸福のため、一人一人が今できることを行い、社会が、国が、そして人類全体が手に手を取り合うことができる方向に思考していくべきではないだろうか。困難と危機と向き合い、人類は絶えず知恵を使い前進してきた。

 ヨーロッパでは夜8時になると、人々がバルコニーへ出て拍手をするという輪が広がっている。多くの生命を救うため懸命に働く医療従事者に対する称賛と感謝を表現する人々の輪である。私たちが今できることは何か? 全ては自問自答から始まる。



ハンガリー・ソルノク市立交響楽団 アシスタント・コンダクター 金井俊文 ハンガリー・ブダペスト

 【略歴】2016年にアラム・ハチャトゥリアン国際指揮者コンクール特別賞、19年に上毛芸術文化賞受賞。大泉町出身。ハンガリー国立リスト音楽院大学院指揮科卒。

2020/5/22掲載

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