前橋空襲の慰霊 涙と感謝が平和を育む
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 昭和20(1945)年8月5日午後10時30分、終戦間近のこの日の夜、米B29爆撃機により、約700トンもの焼夷(しょうい)弾や破砕弾が投下され、前橋中心街が火の海となり、535人もの尊い命が失われた惨事から、今年は75年目を迎えます。

 毎年この日が来ると、住吉町二丁目自治会が比刀根橋の平和記念碑の前で慰霊に臨みます。そして前橋中心街の神社、仏閣、教会でも慰霊の太鼓や鐘の音が響き渡ります。

 昨年、前橋市主導のもと、「前橋空襲を語り継ぎ、平和資料を収集展示の形の検討会」が発足しました。22人の委員と4人の事務局で構成され、私も前橋大空襲被災中心地の神社代表として参加させていただいております。

 平和資料館設立を目指す方、地域づくりに取り組む方、市民学芸員、社寺教会の聖職者など、さまざまな分野の方々が集まり、戦争の悲惨さと平和に必要なものを語り継ぐべく会議を重ねています。神職としての私が担い、実践していくものは、歴史文化遺産の護持と、日本の文化と伝統の継承、そして、慰霊のたゆまぬ継続です。

 私が先代から宮司を継承して今年で7年になりますが、奉仕する前橋神明宮では6年前から(先代・先々代も慰霊祭をしていた形跡はあるものの、実施時期は不明のため、私の代からの年数)、兼務する前橋熊野神社では戦後から絶やさず慰霊祭を斎行しています。神事をつかさどっていた先代・先々代にも頭が下がりますが、絶やさず慰霊を支えてきた前橋熊野神社の氏子さんたちにも心打たれるものがあります。

 私は8月5日朝9時から夜にかけて熊野神社を奉仕し、合間に神明宮へ行き慰霊祭を斎行するのが恒例でした。3年前から例年通りの神事に加え、爆弾が投下された午後10時30分から投下が終わるまでの約1時間45分間、「大祓詞(おおはらえことば)」を唱えることにしました。大祓詞とは神社祭祀(さいし)における祝詞の一種で、罪穢(けがれ)を祓(はら)い清浄にする詞(ことば)です。戦争の罪穢を祓い、前橋空襲の被災死者の慰霊を込めて唱えています。

 夜中といっても真夏に神事の衣紋を着ての慰霊祭。もちろんクーラーも使わぬ中での1時間45分。毎回熱中症になりかけます。対策を講じて臨みますが、危険には変わりません。しかし、空襲当時の被災者に比べれば、苦しくありません。

 SNSや口コミで少しずつ広がり、昨年は、慰霊参拝に訪れる方が増えました。中には当時の凄惨(せいさん)な状況をしのんでか、涙を流す方々もいました。慰霊祭を通じて激動の時代を生きた方々の上に今の平和があることを知っていただき、慰霊の気持ちと感謝を伝えたいですね。慰霊の涙が平和という大樹を育み、未来永劫(えいごう)、平和が続きますように。8月5日。今年も前橋に太鼓や鐘が鳴り響く―。



前橋神明宮宮司 東野善典 高崎市西国分町

 【略歴】都内の大学を卒業後に12年間、役者を経験。県内で演技指導や演出、殺陣師もする。代々続く神職を継ぐため、6年前に帰郷。前橋、高崎の14社に奉仕する。

2020/05/30掲載

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