フジコさんと共演 心動かす魂の音の奇跡
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 昨年秋、ハンガリーでピアニストのフジコ・ヘミングさんと共演をした。日本でも最も有名なピアニストの一人である彼女が得意とする「ラ・カンパネラ」(鐘という意)は、ハンガリー人のフランツ・リストが作曲した。リストが1875年に創設したリスト音楽院の大ホールは、壮麗なコンサートホールとして世界的に知られている。世界各地で精力的に公演を行っている彼女だが、このホールで演奏する時は特別な気持ちになるのだと話してくれた。

 共演する作品はモーツァルトのピアノ協奏曲第21番。私はブダペスト交響楽団と事前練習を行いながらフジコさんの到着を待っていた。多忙な彼女のスケジュールにより、練習は本番前日のみ組まれていた。しかし突如オーケストラのマネジャーから「今日は来ない」と告げられた。各国での長い演奏旅行で疲労を感じているとのこと。練習は中止。翌日の公演前、最終練習でのわずかな時間のみが、僕とオーケストラ、そして彼女に与えられた時間となった。

 チケットは早々に完売、誰もが知る巨匠の公演のため注目度は高く、僕のような若手指揮者にとっては崖っぷちと言って良い。

 公演当日、フジコさんと対面、たった40分間の練習が始まった。彼女はテンポを操り、モーツァルトの書いた音符を自由に表現する。そこへ僕の指揮によるオーケストラが寄り添うが、部分的に合わない所がいくつも出てきてしまった。家に戻り、公演までの3時間、練習の記憶をたどり、自分のできることをやろうと必死に楽譜に向かった。

 いよいよコンサート、舞台袖でフジコさんは緊張している僕に「大丈夫、神様が見ててくださるわ!」と言った。覚悟を決めた。演奏は第1楽章が終わり第2楽章へ。モーツァルトの作品の中でも最も優美な楽章だ。オーケストラの優しい前奏が終わると、それを引き継ぐように彼女のピアノが始まる。

 その最初の音だった。空気が変わった。たった一音で会場の空気が一変した。オーケストラのメンバーたちの表情も明らかに驚いていた。指揮台の上から横目でフジコさんを見ると、彼女は確かに神様とつながっていた。その後はリハーサルで合わなかった箇所全てがピッタリと合い、聴衆から大喝采を受けた。

 フジコさんの代名詞である「奇跡のピアニスト」を目の前で感じた。彼女は会場全てをも包み込んだ。終演後、「ありがとう、楽しかったわ!またね!」との言葉を残し、翌日のウィーン公演へと旅立った。

 舞台に立つ人間にとって、並外れた努力や苦労は当たり前である。しかしそれ以上に、自分や人、そして目に見えないものを信じ抜く心の広さ、そこから生まれる魂こそが人の心を動かす鍵なのだと教えられた。



ハンガリー・ソルノク市立交響楽団 アシスタント・コンダクター 金井俊文 ハンガリー・ブダペスト

 【略歴】2016年にアラム・ハチャトゥリアン国際指揮者コンクール特別賞、19年に上毛芸術文化賞受賞。大泉町出身。ハンガリー国立リスト音楽院大学院指揮科卒。

2020/07/12掲載

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