デ・レイケ堰堤に学ぶ 地域の防災力高めよう
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 私の日課は上毛新聞のスクラップだ。心酔する今村均陸軍大将にあやかり、数年前から続けている。

 7月28日付「浅間噴火資料 データ化公開」は、浅間山大噴火の犠牲者の供養碑など、埋もれていた情報をネット上で公開した嬬恋郷土資料館を紹介。災害の教訓を広く後世に伝える取り組みをたたえた。関俊明館長は8月16日付「キーマンの書棚」で再登場。大噴火の調査を生涯の仕事と定め、20年前に「天明三年を語り継ぐ会」を発足した経緯を知り、僭越(せんえつ)ながら5年前に見守る会を立ち上げた自分と重なり、胸が熱くなった。

 連載「水神の住む町」の担当記者の取材力にも感服。9月12日付「語り継ぐ資料」で大沢素治さんの遺作「キャサリン台風の記録」を浮上させ、「地域の防災力として生き続ける」と結んだ。

 さて、同17日付「浸水被害の軽減図れ」は、烏川と神流川の流域自治体が参加した流域治水協議会の模様を報じた。相次ぐ大水害を背景に国土交通省が今年7月に打ち出した「流域治水」。堤防やダムなどを整備し、増水を力づくで河道内に抑え込む従来の「河川治水」を見直し、あらかじめ水をあふれさせる場所を河道の外側に作り、流域全体でしなやかに増水を受容することで水害を減らすのがその主な狙いだ。

 水源山地の治山を力説したデ・レイケの防災ポリシーを自分の目で確かめるため、私は榛名山麓の施工5河川で調査を繰り返した。その結果、現存を確認した41基のデ・レイケ堰堤(えんてい)は河谷の狭窄(きょうさく)部や石材に適した巨大な火山岩礫(れき)(主に輝石安山岩)が集まる合流部など、それぞれふさわしい場所に構築されたことが判明。当地に鎮座した巨礫を堤体の支えに見立てたり、岩礫に表れた節理(規則正しい割れ目)を石積みや石張りに生かすなど、現場の地貌(ちぼう)・地質の特徴を生かす施工法にも驚嘆した。

 さらに県文書館の協力による文献調査から、災害履歴を含む地勢分析が対象河川の施工規模を左右したことも分かった。満足な地形図がなかった当時、施工場所の選定に必要な情報として地元住民からの伝聞が生かされていた。つまり、明治期の榛名砂防では、国と現場を知る住民との好連携が奏功した。

 流域治水は中央統制になじみにくい。成功の鍵は地域の防災力にある。自治会や隣保班などを拠点に住民が相互の利害関係を調整した上で実効性を伴う流域治水のあり方を検証し、必要に応じて行政の支援を仰ぎながら不意の脅威に備えるべきだ。

 年明けにはこれまでの活動を総括し、デ・レイケ堰堤を総合的に解説したガイドブックを発刊する。デ・レイケ堰堤を防災の成功事例として語り継ぎ、現場主義に立脚した防災論を熱く展開したい。




榛名山麓のデ・レイケ堰堤を見守る会代表 大林和彦(榛東村新井)

 【略歴】おおばやし・かずひこ 高校教諭で現在は前橋清陵に勤務。2016年に見守る会を立ち上げ。高校通信制「地理B学習書」(NHK出版)を執筆。群馬大教育学部(地理学専攻)卒。

2019/10/06掲載

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