多様性ある社会へ 差別意識と向き合って
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 「差別や偏見を持ってはいけません」「いじめをしてはいけません」。きっと誰もが子どもの頃に学校で教わったことだと思う。けれど、差別やいじめは学校の中でも社会に出てからもなかなかなくなることはない。特に今年はコロナウイルスに関する差別や黒人差別への反対運動が話題として大きく取り上げられ「差別」という言葉を見聞きすることが増えた。

 その一方、ネット上で「差別になじみがない」「日本に黒人差別はない」という投稿も目につく。LGBTの人権に関する私の活動においても、同性愛が刑罰になることもないし、タレントも多いのだから「日本はLGBTに差別はないし、寛容ではないか」と言われることもある。

 「差別」は悪意を持って特定の人をおとしめること、暴力を持って排除することだと思っている人が多いため、「自分の身の回りに差別はない」「自分は差別をしていない」などと思ってしまっているのではないのだろうか。

 ここで伝えたいのは、明らかなヘイトや暴力ばかりが差別ではないということ。無知や偏見から発せられる「悪意のない差別」の方が日常にあふれている。差別を感じないという人がいたなら、それはあらゆる場面でマジョリティー側にいるために差別が「ない」のではなく差別に「気づいていない」ということであると知ってほしい。だから、マイノリティーは差別や不平等に気づいてもらうために声を上げ続けているのだ。

 私の周りには幼少期から外国籍やミックスであったり障害を持っていたりなどさまざまな属性を持つ友人たちがいた。私自身も性別違和を抱えながら周囲に言えなかった見えないマイノリティーの子どもでもあった。

 しかし、そのような友人が身近にいたから、自身がある面でのマイノリティーの当事者であるからと言って過去に私自身が差別的な言動を全くしてこなかったかと言えばうそになる。だから自分が差別に関わっていないとは全く思えないし、LGBTにかかわらず、さまざまな社会課題や人権問題にも関心を持つように心がけている。

 社会課題や人権問題を自分には関係がないことだと思っているマジョリティーの人も、自身がいつマイノリティーになるか分からないし、自身をある面でのマイノリティーだと思っている人も他のマイノリティーを差別してしまうことだってある。あるいは身近な人が実は見えないマイノリティーであるかもしれない。

 人は場面が変わればマジョリティーにもマイノリティーにもなりうる。それを自覚し、自分の言動を振り返ってみる。そして、学び続けること、想像力を働かせることが差別をなくし、これからの多様性ある社会を実現していくために必要なことであると思う。



セクシュアルマイノリティー支援団体「ハレルワ」代表 間々田久渚 渋川市石原

 【略歴】2016年にハレルワ代表就任。戸籍と心の性が一致しないトランスジェンダーの当事者。座談会や講演を行う。太田市出身。太田女子高―群馬大教育学部卒。

2020/10/11掲載

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