群馬の航空人四傑士 歴史文化の研究深めて
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 群馬県に関係の深い航空人(そらびと)として、中島知久平と堀越二郎の2人に異論はないだろう。この2人に四王天延孝(しおうでんのぶたか)と糸川英夫を加えた4人を「群馬の航空人四傑士」と名付けたい。

 四王天延孝は、前橋藩士西村茂兵衛の弟として生まれ、四王天政彬の養嗣子となった陸軍中将である。

 延孝の功績として以下の4点が挙げられる。(1)陸軍航空隊の基礎を作り上げた(2)日本から国際連盟空軍代表として派遣され日本の航空の黎明(れいめい)期を築いた(3)空軍力の拡充と民間航空の充実を唱え、帝国飛行協会の理事として、日本航空界の発達に尽力した(4)翼賛選挙で立候補、当選し衆議院議員として活躍した―。

 四王天という変わった名字は、埼玉県本庄市に拠点を置いた武士団、児玉党の児玉惟行(これゆき)を祖とする。惟行の子孫が四方田(しほうでん)という地に居住し、それを姓としたことに始まる。後裔(こうえい)の四方田弘綱は一ノ谷の戦いで平清盛の孫・平知章を討ち取った。その13代後の四方田政長は1488(長享2)年、御所に押し入った盗賊を捕縛、その功績で後土御門天皇から賜った姓が四王天である。

 政長から4代後の四王天政孝・政実(まさざね)の兄弟は明智光秀の重臣だった。光秀からの信頼厚く、2人で福知山城代を務め、政孝は1万石の知行も得ている。本能寺の変の際、政孝は二条城を攻め、政実は本能寺で織田信長の近習・森蘭丸を討ち取った(異説あり)。続く山崎の戦いで政孝は討ち死にしたが、政実は落ち延び、徳川家康の次男で、福井藩主越前松平家の祖、結城秀康に仕えた。前橋藩主の松平家は秀康の末裔(まつえい)にあたる。

 糸川英夫は堀越二郎と共に日本を代表する世界的航空工学者である。無人探査衛星「はやぶさ」がサンプルを持ち帰った小惑星「イトカワ」は、糸川にちなんでつけられた。糸川は東大工学部航空学科を卒業後、中島知久平がつくった中島飛行機に入社、陸軍の戦闘機「隼(はやぶさ)」「鍾馗(しょうき)」等の設計を担当、ジェットエンジンの研究・開発も進めていた。

 後に学者としてロケットの開発に取り組み、日本のロケット技術の基盤を確立した日本宇宙航空工学の祖であり、多数の技術者も育て上げた。現在の日本のロケットは、糸川あってこそのもので、まさに「国産ロケットの父」と言うべき偉大な人物である。

 こうした偉人を研究・顕彰する環境が群馬県には整っていない。県による動画・放送スタジオの設置は評価できるが、群馬ブランドを広めるためには、前提として、文化の質と内容が伴っていなければならない。

 東国文化と絹産業遺産だけが群馬の歴史ではない。日本史学を学び研究できる場がない群馬県で歴史文化を売りにするのなら、新たな政策と拠点が必要である。



藤岡学研究会代表 塩出環 藤岡市三本木

 【略歴】2019年に同会を発足。行政書士。高校非常勤講師。元同志社大人文科学研究所研究員。専門は日本近現代史。神戸大大学院博士課程修了。博士(学術)。

2020/10/17掲載

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