駆け抜けた親たち 「手をつなぐ」礎を築く
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 私は高崎市新町に住んでいます。今から25年前の話になりますが、新町地域には、障害者の通える福祉作業所が整備されていませんでした。

 わが子は知的障害があって養護学校に通っていました。学校の送迎で知り合いになった母親たちの間で、卒業した後に働く施設が地域にないことに対する不安が募っていました。卒業するまでに行政に陳情して、整備してもらうことで一致団結しました。

 長い陳情の始まりでした。会の名前を「ぱれっとの会」として立ち上げました。子どもが学校に行っている間に、手作り品を作って地域のバザーに出店しました。作業所整備の署名活動は、募集に応じてくれた地域ボランティアさんに応援いただきました。

 障害の子どもを抱え、日々の大変さの中でも、仲間は不満一つ言わず、将来の目標に向かい活動していました。目標がかなわずに落胆した期間もありました。

 相談に乗ってくれた方から、親たちの団結も素晴らしいが、「小さな任意の会では力が足らない」とアドバイスいただきました。そんな時に「群馬県手をつなぐ育成会」の存在を知りました。新町支部の設立と県手をつなぐ育成会への加盟を行いました。ぱれっとの会の会員5人から、会員は15人になり、地域の障害者の団体が立ち上がりました。

 目標がかなうまで、活動開始から13年を費やしました。長い年月、目標に向かい良く頑張れたと、今になれば感動の一言です。欲しいと願って活動した親の子どもたちは、卒業後の通所には間に合わなかったのです。

 新町から遠くの施設に通っていた障害者が、整備された地域にある作業所に通えるようになりました。送迎バスではなく、自分の足で歩いて通えるのです。

 今当たり前に生活している日々は、礎となって頑張って来られた方々がいるからこそあります。そのことに、日々感謝しています。私たちが活動した時代とは違って障害者の通える施設が整い、選べる時代となり、障害者制度も充実してきています。その礎となってくださった多くの方々がいたことは忘れてはならないと思います。

 県手をつなぐ育成会も1953年の設立から67年の歴史を重ねています。育成期は県知事に会長として牽引(けんいん)いただきました。知的障害者の権利擁護のために歴史を重ね、現在も変わることなく国・県に要望を続けています。知的障害者が地域で隔たりなく、自らの意思を尊重され穏やかな生活ができる目標を掲げて、活動をしています。

 礎となって活動してきた親は高齢になり、次世代の育成が必要となってきています。1人ではかなわないことも、団結することで大きく転換します。手をつなぎ組織の継続を希望してやみません。



県手をつなぐ育成会会長 江村恵子 高崎市新町

 【略歴】群馬銀行や藤岡保健福祉事務所内の障害者相談支援センター勤務を経て2017年から現職。全国手をつなぐ育成会理事。渋川市出身。明和高卒。

2020/11/16掲載

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