教育現場の合理的配慮 多様さ前提とした公平
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 少し暑さも和らいだ日曜の午後、富岡の自然史博物館に行ってみた。いつものように2階に上がり、毎回楽しみにしているダーウィンの部屋に入ろうとすると、そこは閉鎖されていた。新型コロナウイルスの影響はこんなところにまで。

 ダーウィン博士といえば進化論だが、その説が「変化できるものが生き残れる」と誤解されていたというニュースは、まだ記憶に新しい。ダーウィン博士の説く進化とは、あくまで結果論である。つまり、たまたま環境に適応していた生物が、結果として生き残ってきたというものだ。首が長い、足が速い、それらのことはたまたまその時代の生き残る条件を満たしていたに過ぎず、そこに優劣という概念は存在しない。

 私は現在、学業や人間関係、またコミュニケーションなど、さまざまな困難を抱える高校生たちの支援を行っている。集団で生活をする中で、それらの困難さが目立つことが多いが、あまり表には出てこない生徒ならではの強みも多く存在する。例えば、こだわりをもって一つのことを追求する特性、さまざまな情報に同時に注意を向けて処理をしようとする特性は、それを生かす環境が整えば大きな強みとなるであろう。

 野生動物ではない私たちは、集団生活を送る上で目に余る特性だけではなく、個々のさまざまな特性に目を向け、どのような特性も公平に尊重しなければならない。

 最近、教育現場では合理的配慮という言葉がよく用いられる。何とも難しい言葉だが、公平を生むための配慮だと考えると少し分かりやすい。合理的配慮を説明する上で、野球観戦の例がよく用いられる。背の高い子どもと低い子ども、どちらもフェンス越しに観戦しているが、背の低い子どもはフェンスがあってよく見えない。合理的配慮とは、その子どもを台の上に乗せてあげることだという。そのことで、見るべきものがしっかり見え、どちらも公平に試合が観戦できるというわけだ。

 公平にするということは、子どもが多様であるという前提に立つと同時に、新たな多様さを生むためでもある。先の例で言えば、身長の違いという多様さを受け止め、それによるハンディを解消することで、初めてその生徒ならではの試合に対する見方や捉え方、また感情が生まれる。現在、このような合理的配慮がさまざまな高校で検討されてきており、私の仕事はそのお手伝いをすることでもある。

 秋の深まりを前にこの原稿を書いている。今度また博物館に行ってみようと思う。ダーウィン博士には会えないかもしれないが、その時はもみじ平の紅葉がきれいかもしれない。季節の移ろいはどの木々にも公平にやってくるが、それぞれ違った紅葉の仕方があるから美しいのだと、改めて思う。



高崎高教諭(通級指導担当) 佐藤利正 高崎市柴崎町

 【略歴】特別支援学校や普通高校に勤務し、2019年から現職。生徒支援の経験を基にした小説で上毛文学賞、県文学賞受賞。群馬大大学院博士課程修了。博士(医学)。

2020/11/20掲載

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