古代群馬の大地震 脱「安全神話」への学び
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 西暦818年と聞いてピンと来る人は、特に群馬の歴史災害に詳しい人である。

 平安遷都から間もない818(弘仁9)年の夏、この地方は突然恐ろしいほどの揺れに見舞われ、赤城山南麓では無数の地すべりなどが発生したらしい。まだ信頼できる歴史書などに乏しい古代日本の地震史で、固有名詞を冠して紹介される「弘仁地震」が、群馬周辺で発生したことを意識する人は、地元でも今はごくわずかだ。

 地震被害の様子は平安時代の歴史書物『類聚国史』に詳しく記載され、名指しで群馬とは書かれていないものの、東国一帯の被災地へ朝使を派遣して被害の程度を調査したことが克明に書かれている。

 こうした史料からの推察に明確な具体性を与えたのは、群馬県南部の各市町村における文化財発掘調査である。今でも毎年のように、当時の地震動による地変の痕跡、例えば、地層のずれや液状化の発生を疑わせる砂筋などが地中から発見され続けている。

 地層は樹木の年輪と同じで、その上と下に堆積する各地層の年代を正確に測定できれば、地変痕跡の原因となった出来事がおよそいつ頃のものだったのか、次第に見当が付くようになってくる。掘り出すたびに見つかる痕跡の推定年代がいずれも平安時代初期にそろっていたのを最初に見いだした考古学者は、さぞかし驚いたことであろう。

 2018年は弘仁地震が発生して1200周年の節目に当たるということで、地盤災害研究者である筆者は、友人の学者たちとともに、上毛新聞社の協力も得ながら、地震防災啓発キャンペーンを行った。開催の動機の発端は、群馬県に住む人の多くが「群馬は地震がない」と口々に断定することに、最近はなはだ危機感を抱いていたことである。

 地震が起こるか起こらないかを論ずるのに、ヒトの一生、一国の栄枯盛衰、歴史書物の保存期間の長さは、あまりにも短すぎる。昨日までの9999年の間、何もなかった活断層が、今日1万年の眠りから覚め、突如私たちに猛威を奮っても、地球の歴史に比べたら、それはごく普通の自然の営みに過ぎない。群馬でも大地震は起こる、そう肝に銘じるべきである。

 3.11の津波以来、東北地方の各県は長い間、人々が見て見ぬふりをしてきた869年の貞観地震津波の痕跡をおさらいしている。少なくともこのくらいの周期で、東北地方の太平洋沿岸は、地域村落すべてが消えてしまうくらいの恐ろしい津波に、これまでも、おそらくこれからも襲われていくことを再認識したはずである。

 内陸直下型地震も同じである。赤城山南麓に眠る地変痕跡のタイムカプセルのふたを開けてみる時、SF小説を楽しむがごとく扱うか、他山の石とするかは、まさに私たちにかかっている。



群馬大教授若井明彦 伊勢崎市上泉町

 【略歴】地盤災害のメカニズム解明と減災対策などを研究。2019年の台風災害では、富岡市の検証委員会委員長を務め、対応策を提案した。群馬大大学院修了。

2020/12/08掲載

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