女性割合目標値の意義 ジェンダー議論深めて
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 東京五輪・パラリンピック組織委員会の前会長、森喜朗氏が女性差別発言によって辞任に追い込まれました。「女性は話が長い」という部分が「失言」として大きく取り上げられましたが、私は「文科省が女性割合を4割にしろとうるさいから」という部分も大きな問題だと思っています。
 前回「群馬県の自治会長に占める女性割合の少なさ」について記しました。女性登用の話になると、「実力で選んだ結果、男性ばかりになるのは仕方がない」という意見があります。確かに正論のように聞こえますが、その前提となる「実力」を図る尺度そのものが極端にゆがんでいる場合はどうでしょうか。
 私たちには「アンコンシャス・バイアス」という、無意識の偏見や思い込みがあります。例えば「今日は仕事仲間と打ち合わせも兼ねて飲んで帰るから帰宅は遅くなるよ。子どもの寝かしつけをよろしくね」という言葉を「子育て中の男性」が言ったらどうでしょうか。「飲んでくるのも仕事のうちだし、仕方がない」もしくは「男性なのに子どもの寝かしつけのことまで考えているなんて立派じゃないか」と思う人もいるでしょう。
 しかし、まったく同じ言葉を「子育て中の女性」が言ったとしたらどうでしょうか。「母親のくせに子どもよりも仕事が大切なのか」「夫の夕飯はどうするつもりか」といった批判が目に浮かびます。
 同じ言葉なのに、男性が発する場合と女性が発する場合で反応が異なるのは、日本社会の中に「男性は仕事が第一で、家事育児の主体は女性だ」「女性は働いても良いが、家事育児に差し障りのない範囲で働くべきだ」といったステレオタイプ(固定観念)があるからです。
 このような社会で、冒頭のように「実力で選んだ結果、男性ばかりになった」と言われても、納得できるものではないことが分かっていただけると思います。
 今まで「実力」だと思ってきた尺度を公正なものに変えるためには、女性を登用しないと始まらないのです。そのために政府や地方自治体の男女共同参画基本計画の中には「指導的地位に占める女性の割合」という目標値が定められています。しかし、2020年までにその割合を30%にするとしていた政府の目標は達成されることなく、世界的にみても日本はジェンダー不平等の国のままです。
 政治や仕事の場面で、女性が失敗をすると「やはり女性はダメだ」というように失敗した理由を「女性」にしてしまいませんか。男性が失敗しても、「男性だからダメだ」とはならないように、たとえ女性が失敗したとしても、その理由は「女性」ではないのです。
 森氏の発言を機に、日本のジェンダー問題について議論が深まることを望みます。



ぐんま公立高校男女共学を実現する会代表 坂本祐子 高崎市飯玉町

 【略歴】2018年、別学校出身者(太田女子高卒)として初の同会代表に就任。群馬パース大などで非常勤講師を務め、専門は家族社会学。高崎経済大大学院修了。

2020/3/5掲載

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