倒産危機からの出直し オルン始動で見えた光
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 ものづくりの質は向上しているのになぜ経営は厳しいのか? そう悩んでいた頃、社長である父から資金繰りのための融資が全て断られたと告げられ、私もさすがに現場作業に専念している状況ではなくなりました。とはいえ決算書すら読めない私では何の役にも立てず、商工会議所に勧められた「企業改善」の無料講座を受けることにしました。希望者は中小企業診断士による個別指導も受けられるとあり、そちらも迷わず申し込みました。

 診断士の吉村守さんのおかげで経営状態に対する不安は漠然としたものから具体的なものになりましたが、それは覚悟していたよりもずっと厳しいものでした。伸びない売り上げに対して大きすぎる負債額。技術のコモディティー化(他と差別化できず価値が下がること)に加え、値下げが招いた主力商品の採算割れ。生殺与奪の権利を放棄したような受け身の営業方法。現状を招いた原因が次から次に明らかになりました。気付かないふりをして避けてきた課題はいよいよ現実的な問題となり、家業の終わりが目の前に迫っていました。

 問題が山積みの一方、井清の強みは「絹の八寸帯」と「熱意と覚悟」だけ。数カ月の勉強会の最後に吉村さんと私が出した結論は「下請け体質から脱却し、小さくとも自立した機屋を目指し、利益と誇りを取り戻す」でした。

 弱者としての戦い方で生き残ってやる、という腹が決まった以上、業界全般からの評価は捨て、価値観を共有でき目標となる人だけに認められればいいと割り切ることにしました。仕事の付き合いの酒を遠慮し、友人と会うこともなくなり「家族と織物」に集中する生活になりました。

 毎月の自転車操業が続く中、私が最も憧れていた京都の会社から井清と取引したいと連絡が来たのです。認められたのは唯一自信を持っていた「絹の八寸帯」です。井清織物としては快挙と言っても過言ではなく、父は喜ぶというよりも驚き、私も妻も帯屋としてようやく見習いを終えて一人前の入り口に立てたような気分でした。

 この2014年の春、あるアイデアをついに解禁することに決めました。それが帯以外の織物で一から始まる活動「OLN(オルン)」です。

 いろいろな縁がつながり、その年の秋、私たちは納品のため日本百貨店吉祥寺店を訪れました。緊張しながら手渡したのは完成したばかりのネックウオーマー。手にした店長さんとスタッフの皆さんはこちらまで笑顔になるほど盛り上がってくれました。きちんと利益を乗せ小売価格を初めて自ら設定したオルンの最初の商品は、値切られるどころか喜んでもらえたのです。この経験は、自信を失い卑屈になりかけていた私にとって終わりの見えない暗闇に差し込む一筋の光のようでした。



OLN代表、井清織物代表 井上義浩 桐生市境野町

 【略歴】井清織物4代目。大学進学で上京後、テレビ番組制作などを経て30歳で帰郷し、同社入社。2014年、妻と織物の生活雑貨ブランド「OLN」を立ち上げ。

2021/06/09掲載

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