超法規の定住許可 諦めぬ熱意 政府動かす
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 今から40年前、カンボジアのポル・ポト政権下から地雷原の国境を越え、命からがらタイの難民キャンプに逃れたセン・サムウン(日本名・仙田佐武朗)さん一家は、日本での定住を希望しましたが病気の子どもがいたため断られました。最終的に「難民を助ける会」が身元保証人となり来日できることになりました。超法規的措置が取られたのはその時です。前回の続きを書きましょう。

 おいのユ・カンナラちゃん(3)は心臓心室中隔欠損症。心室と心室の間に穴が空いていて血がうまく回りません。生命の危険が迫っていました。しかし一家5人の日本への難民申請は拒否されました。キャンプ内の掲示板には「あなた方のことは再考の余地なし」という英語の決定文の下に、誰が書いたのか「これが日本だ!」と記されていました。日本国民として大変恥ずかしいことです。なんと心ない、と思いました。日本政府は当時、タイの難民キャンプで日本への定住希望者を募っていたにもかかわらず、病気のカンナラちゃんがいたために許可を出さないどころか、今後、何度申請しても無理だ、と突き放したのです。

 国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)から相談を受けた当会は、彼の病気の治療と生活費、就学支援、そして一家が定住するための支援を全て引き受け、彼が成人するまで面倒を見ると覚悟を決めました。

 まずバンコク総合病院で精密検査を受けて病状を調べ、日本で手術をしてくれる病院を探しました。多くのメディアが動いてくれ、支援も集まり始めました。東京都内の日赤病院が手術を受諾し、近所に一家が住むアパートも用意できました。佐武朗さん夫妻の勤め先は老舗和菓子店の「虎屋」に決定。ボランティアの方が自分の車で空港に迎えに行くことや病院への送迎、入居作業など、定住に向けた準備が整いました。

 条件付き(会が身元保証人となり、国の世話にはならない)で入国できることになりましたが、私たちは諦めず、政府への働き掛けも熱心に続けました。この状況に政府は、外務、法務、厚生など関係省庁で協議した結果、人道的な観点から「超法規の立場」で対処することに決め、一家の定住を認めることにしたのです。

 もちろん日本では初めてのケースですし、新聞各紙は「政府 超法規の定住認める」などと報じました。「国連を通じ日本政府を動かしたわけだが、難病の難民に対して定住許可が出た国際的にも珍しいケース」と書かれた記事もありました。日本政府の保護が得られ、当会もできる限り支援しました。

 「5歳までの命」と言われたカンナラさんは多くの人に支えられ、30歳目前まで社会で活躍しました。



認定NPO法人難民を助ける会名誉会長 柳瀬房子 東京都渋谷区

 【略歴】1976年に前身団体設立メンバーとなり、会長を経て現職。法務省の専門部会委員を務め、現在は難民審査参与員。東京都出身。青山学院大大学院修了。

2021/09/11掲載

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