玉村ツアー寄席 逸脱行動としての遊び
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 県立女子大(玉村町)の「芸術プログラム」では、学生たちと地元で音楽や演劇などのライブイベントを企画運営している。そこでいつも重要なポイントとなるのが、場所の問題である。

 町内には芸術系のインフラが少なく、普通に考えるなら町の「文化センター」か、役場に隣接した「ふるハートホール」を使うことになる。機能面では十分だが、意外性には欠ける。よほどの内容でなければ、施設のコンテンツの一つとして、既存の文脈内で了解されてしまうだろう。しかし、われわれの企画は常に、何か予想を超えた鮮烈な「出来事」でありたいのだ。

 2016年度はある学生の発案で、飲食店でのライブイベントを考えてみた。当然、店側にどんな利益があるかを考えなければならないが、単なる宣伝イベントをしても仕方がない。議論を重ねた結果、「玉村ツアー寄席」というイベントが生まれた。

 これは観客が三つの飲食店(カレー店、居酒屋、イタリア料理店)を巡りながら、試食メニューとともに落語やライブ演奏、マジックを楽しめるというものである。一度に入れる人数に限りがあるから3会場同時に観客を入れ、決まった順番で一斉に移動してもらう。そして上演は同じ内容を3回繰り返す。

 予約受け付けが始まると、すぐに満員札止めになってしまった。食が絡むと人は動く、というのもセオリーだが、単純に「面白そう」と思ってもらえたようだ。

 実際、当日も中高年を中心にかなりの盛り上がりを見せた。観客としては40分ごとに移動するので忙しいが、それが楽しいのである。ちょっとしたロックフェスのような雰囲気すらあった。自営業者の方々との連携は決して容易ではなく、反省点は多いものの、見慣れた日常空間のただ中で非日常的な体験をつくり出すことには成功したと思う。

 ところでゲーム研究者のミゲル・シカールは、「遊び」と「遊び心」を区別して、後者への注目を促している。「遊び」は社会の中で制度化する。例えば公園のように、遊びのための空間がつくられる。どんなスポーツも元をたどれば単なる気晴らしだったものが、流行し、産業になる。プロ選手においては労働にさえ転化する。他方、「遊び心」は制度化にあらがう。遊びのための場所ではないところに顔を出し、そこを「遊び」で占拠してしまう、とシカールは言う(『プレイ・マターズ』松永伸司訳)。

 つまり真面目なところで遊ぶ(ふざける)からこそ面白いのであり、それが一定の型になったものを人は心安く「遊び」と呼ぶが、そこでは既に、遊びに内在する運動性、創造性は飼いならされてしまっているのだ。だから私も、町にもっと立派な劇場があれば、などとは思わない。逸脱行動を楽しみたいのである。





県立女子大文学部准教授 武藤大祐(さいたま市大宮区)

 【略歴】舞踊学が専門で、2008年から県立女子大勤務。三陸国際芸術祭の海外芸能プログラムディレクターを務める。ダンス批評家として執筆も行う。

2021/9/14掲載

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