生態系の意義と理解 体験から価値観育んで
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 頭の中に描けるランドスケープは、年齢とともに広がる。7歳以下では家から見えるような風景、10歳前後なら遠足で行くぐらいまで、12歳以上になって初めて、遠く離れた場所のことが想像できるという。発達段階に応じた範囲の自然で遊んでいない子たちに、地球温暖化や外来種などの問題を説くと、自然嫌いの子になってしまうともいう。

 外来種のダンゴムシでもいいから、まずは飼ってみよう。どこにいたから、どんな隠れ家や湿り気を与えれば居心地がいいか考え、ときには死なせもする。その経験の延長上に、コアラやホッキョクグマの置かれている現状が理解できるようになるだろう。生きものを死なせる経験をしないと、命の大切さが分からないまま大人になりかねない。最後まで責任を持って飼えたなら、肉や魚を残さず食べるのと同じことも学べる。

 そもそも、私たちが享楽や経済優先で温暖化や外来種の問題を起こしたのに、環境問題や異常気象という反省のない言葉で説教するのは、子どもにツケを負わせるようで心苦しい。1960~70年代の公害問題は、明らかに加害者と被害者がいたのに「公害」という言葉で加害者の罪を曖昧にした。それに似ている。

 全ての生物種は進化という歴史的産物で、失ったら取り返しがつかない。それらはヒトを生み出した地球の生態系、その網の目の一本一本だ。単純化した例えだが、マグロがサンマを食べれば、サンマは減って目立たなくなり、マグロの狙いはイカに移る。イカが食われている間にサンマは数を取り戻し、再びマグロの目に付くようになる。その隙に、数を減らしたイカがまた復活する。マグロの卵や稚魚がサンマに食われているとすれば、生態系は極めて複雑でバランスの取れたネットワークであることが分かる。こうしたゆりかごの上にヒトが生まれてきた以上、もうヒトは自立できたからサンマを食い尽くしてもよく、後は野菜と家畜だけで十分だ、という時代は来ない。

 生きものの種の多さは、多様な生き方のどれもが進化的に正しかった裏付けでもある。渡りをする生き方、他人に子どもを預ける生き方、食べてもまずいぞと色で告げる生き方、乾燥にとことん耐える生き方。地球での生き方は無限で、今あるどの生き方も正解だった。つまり皆成功者なのである。間違っていなかった者たちを、最後に生まれてきた人間の利害で排除するこの数千年は、地球において実にあっけない一瞬である。

 最後に、子どもたちや親を含めた教育者に期待を込めたい。大人になると、どうしても立場でものを考えてしまう。しかし、立場でなく自分自身の価値観で考え、発言し、地球のために行動できる人が求められている。身近な自然体験を通し、揺らぐことのない価値観を育んでほしい。



万座しぜん情報館館長 石塚徹 長野県軽井沢町

 【略歴】元高校生物教諭で2018年5月から現職。専門は動物社会学・行動生態学。「歌う鳥のキモチ」など著書多数。金沢大大学院生命科学研究科修了。博士(理学)。

2021/09/23掲載

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