気になる発達と通園 適した形を皆で話して
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 息子が5歳を迎える年、保育園か幼稚園に通わせようと知人の紹介で私立の幼稚園に決めた(本人も伴い発達の気になる点は説明したが快く入園を許された)。息子は新しい園児服、帽子、カバンなどをすんなり受け入れて通園バスに乗り込む日々が始まった。

 給食開始につき制限が告げられる。「1人では難しいでしょうから」という家族にとっては根拠の薄い理由だった。楽しい記憶を刻んでいったであろうバス通園がなくなり、自家用車による部分通園が始まった途端、息子の活力と食欲は急激に落ち込み、程なくほとんど飲食物を受けつけなくなった。園との話し合いの中で1人の職員は「内科の病気で外科に行っても直らないですよね。外科の病気で内科に行っても…」と表現した。よそへ移ってもらいたいのだと思うしかなかった。

 息子の体調を案じつつ市の担当課、母の友人情報、兄の助言などで3園を訪ねた。印象的だったのは現在世界遺産として登録された絹産業遺産群の一つ、田島弥平旧宅に近いめぐみ保育園だった。牧師の園長さんは「補助の職員をつけて態勢を考えましょう」と言われた。

 安堵(あんど)した気持ちでの帰途、立ち寄ったレストランで息子は数日ぶりにアイスクリームを食べた。教会堂内部の穏やかな雰囲気と柔らかい採光、大人たちの静かな会話などが小さいきっかけになったのか、今でも目をはっきりあけられず疲れ切った表情でスプーンをゆっくり口に運んでいた姿が浮かんでくる。

 結果としては市からの情報で自宅から近い保育園に決め、卒園まで適切な配慮をいただき、伸び伸びと過ごせた。息子は楽しい記憶をいっぱい作り、今でも時折口にするほどだ。

 この体験を恐らく初めて文章にしたのはいたずらにつらかった、悲しかったと言いたい訳ではない。あの時「本人にとって今どうすれば良いのか」を関係者がしっかり話し合えなかった事実が重大だったと考えている。もちろん家族の心労も大きかった。私は頻回の転校や離婚の経験などで少しは鍛えられていたせいか自分を励まし、家族の支えも得て行動した。市外の療育機関にも息子と通い仲間を得ていった。約30年あまり前の体験である。

 現状はどうだろう。発達障害の理解は当時に比べれば進んだはず。福祉制度・サービスも増えてはいる。システムはできつつあるのだ。その中で発達障害のある子どもの早期発見・療育はまだまだスピードが遅いと思う。まず市町村の乳幼児健康診査において早期発見するべく積極的に取り組んでいただきたい。自閉スペクトラム症(ASD)においては1歳台で診断が可能だ。早期発見され適切な療育・教育体制を全ての該当児が得られるように強く望んでいる。



心身障害児者生活支援NPO法人アーチの会代表 安芸みどり 伊勢崎市今泉町

 【略歴】1994年にアーチの会を立ち上げ、障害児向け学童クラブを始め、2000年にNPO法人化。伊勢崎市障害児者親の会ネットワーク事務局。日本大卒。

2018/02/14掲載

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