鎌原観音堂 未来へ発信する語り部
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 嬬恋村鎌原地区は、235年前の天明3(1783)年浅間山大噴火による土石なだれで全てが埋まり、流された。観音堂に駆け上がった93人が助かった。鎌原集落は、隣の村の名主をはじめとした人々による支援と自助努力で、埋まった村の真上に復興した。

 1979年に学術調査が入って発掘が行われ、天明3年当時の貴重な生活用品や遺体が見つかった。発掘された資料を展示しているのが嬬恋郷土資料館である。ボランティアガイド会は資料館や復興に深く関わった観音堂を案内する。

 鎌原観音堂には、東日本大震災を受けた東北から「語り部になりたい」と学生や関係者が訪ねて来る。被害の大きかった三陸地域には、かつてあった津波の被害の碑があるが、住民一人一人が津波の被害を十分理解していなかったことの反省から、津波の被害を語り伝えていく大事さを感じて鎌原に来る。

 鎌原では、観音堂を中心に天明年代から噴火災害を語り継いでいる。その一つとして、浅間山噴火大和讃がある。鎌原和讃会が月の7日と16日に和讃を唱え続けている。また、観音堂のおこもり堂では、奉仕会という組織が観音堂に毎日詰めて、訪れる方にお茶を出しながら語り継いでいる。

 全国を調べてみると災害があるとしばらくは、語りがあるが、次第になくなり、碑や記念碑だけが林、丘に残る。草の中に埋もれてしまうケースも見られる。鎌原観音堂のように語り継がれている場所はまれである。

 それでは、なぜ鎌原は語り継がれてきているのか。鎌原は天明3年噴火災害で5~6メートルの土石で埋まっている。その上に家がある。ことによれば地面の下にご先祖様が埋まって眠っている可能性もある。先祖を大事に供養しなければという気持ちがある。また、生きて命をつないでいくことにより明日が生まれる。多くの方の支えにより命をつなぐことのできたことに感謝している。これが語り継ぎの大きな動機になっている。

 第3回全国被災地語り部シンポジウムが2月に宮城県南三陸町で開催された。地震、水害、津波などの自然災害により亡くなる人が1人でも出ないようにとの未来に向けての発信であった。鎌原観音堂奉仕会や和讃会が招待され、参加してきた。

 今後も鎌原では、日本各地の被災地域と連携を深めながら、伝承していくことの意義を問い、考えながら減災に努めていく。これが未来につなぐ大きな役割である。

 日本は、自然が豊かな国である。私たちは、その自然からたくさんの恵みを受けながら生活をしている。でも、噴火など自然災害があると人の命を奪ってしまう自然でもある。自然をよく知り、いかに共存していくかが私たち一人一人に求められている大きな課題である。



嬬恋村高山蝶を守る会会長、嬬恋郷土資料館ボランティアガイド会会長 宮崎光男 嬬恋村鎌原

 【略歴】嬬恋田代小校長を2015年に退職後、16年4月から現職。嬬恋郷土資料館友の会副会長、同館ボランティアガイド会会長。群馬大教育学部卒。

2018/03/11掲載

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