ハンセン病文学 力強い心の声に触れて
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 〈六合村の中学生から送られしジャガイモ頂く今朝の味噌(みそ)汁に〉

 現代日本でハンセン病は決して怖い伝染病でもなければ、不知の病でもありません。薬で完治します。しかし、かつて日本では感染力の強い伝染病であり、不治の病という間違った認識のもと、多くの人が強制的に療養所に送られ隔離されました。そして今なお誤解と偏見と差別が存在し、元患者と言われる人たちには病の後遺症に加え、その差別や偏見と戦い続けているという現実があります。

 実は、ハンセン病と草津温泉には深いつながりがあります。江戸時代には温泉の力で病を治そうと多くの人が湯治に訪れました。ハンセン病の人たちも同様です。医学が未成熟だった明治時代以降も状況は変わりませんでした。

 ハンセン病史を語る上で、草津の存在は特異なものと言えます。それは、温泉での療養と湯之沢という集落の存在でした。湯之沢集落は明治20年代に草津町によってハンセン病患者を分離した場所です。集落は1941年まで存続しますが、32年には栗生楽泉園が開園し、湯之沢集落の人たちは主にそちらに移転していきます。

 そういった歴史を重ねた中で、ハンセン病文学という独特な文学のジャンルが生まれたことはあまり知られていません。大正時代の湯之沢集落から俳句や短歌、詩などが創作されていきます。病の苦しみや差別、隔離、家族や故郷のことが盛り込まれた作品には独特な力強さを感じることができます。

 100年前の日本では、ハンセン病にかかれば故郷を捨て、自らの出自を隠し暮らさざるを得ませんでした。そんな特異な状況下で社会とつながるための方法の一つが、文化芸術活動だったのかもしれません。当時の日本で一流と呼ばれていた作家たちが各地の療養所園内に入り、入園者の指導を行っていました。

 冒頭の一首は30年ほど前に出版された栗生楽泉園高原短歌会の短歌集にあります。入所者の方の作品です。日常生活の一こまのような歌ですが、六合村(現中之条町)の中学生との交流があったことが伝わります。今では、人権教育の一環で小中学生が楽泉園を訪れることは珍しくありませんが、当時は画期的だったに違いありません。

 差別や偏見を考えることも大切ですが、一方で療養所内での何げない生活や入所者の心の声を記録したものに触れるということも大切であると考えます。

 ハンセン病療養所から生まれた数々の作品は出版され販売もされましたが、部数も少なく全てを網羅することも難しい状況です。草津町立温泉図書館ではハンセン病文学とその関連の資料を積極的に収集しています。お近くの図書館にもハンセン病文学は所蔵しているはずです。問い合わせてみてください。



草津町教委学校教育係長 中沢孝之 草津町草津

 【略歴】草津町役場に入り、町温泉図書館司書などを務める。全国組織の図書館問題研究会で活動。郷土史やハンセン病についても関心が深い。和光大人文学部卒。

2018/04/02掲載

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