日本と「南洋群島」 暮らしに統治下の名残
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 日本にとって遠い国々と考えられがちの太平洋の島々ではあるが、日本の近現代史において、一時期日本の一部として考えられた地域がある。パラオ、ミクロネシア連邦、マーシャル諸島という国々を含むミクロネシアだ。

 ミクロネシアは、赤道の北側、日付変更線の西側に散在する小さな島々から成り立っている。大航海時代以降、スペインやドイツの植民地となり、島民のキリスト教化やココナツのプランテーションによる経済開発が進められた。

 第1次世界大戦で、日本がドイツの植民地であったこの地域に進出し、占領。戦後に結成された国際連盟では、サイパンなどの北マリアナ諸島を含め南洋群島として日本の委任統治領とされ、同地域での産業の育成や島民の教育や生活の質を高めることを要請された。日本政府はパラオの中心都市・コロールに南洋庁の本庁を置き、現地の産業開発を担うため多くの移民が日本から同地に移り住んだ。

 著名人もビジネスマンや教員として派遣された。教師としてパラオに滞在した人々の中には、『山月記』や『李陵』で有名な中島敦がいた。彼は島の子どもたちが通う公学校で使われている教科書を、子どもたちになじみのある現地の自然を使った挿絵に変更するなど、教育活動に力を入れた。芸術家の土方久功は、現地で受け継がれてきた昔話や伝説をモチーフにした伝統的な板彫り細工に関心を抱き、現地の若者たちに現代的な彫刻技術を教え、その表現技術を繊細なものにすることに尽力した。

 また、移住者たちによってもたらされた日本の生活習慣や言葉が、今でも現地に多く残っている。ミクロネシア連邦のポンペイ島では「ウンドウカイ」という名でスポーツ大会が毎年開催され、お昼には家族で「ベントウ」と呼ぶランチボックスを食べている。マーシャル諸島では、ココナツの皮などを編んで作ったハンドクラフトの総称を「アミモノ」と呼び、空港や街中で土産として販売している。ミクロネシアでは現在も日本の文化が人々の生活の中に脈々と息づいているのである。

 第2次世界大戦後、南洋群島の施政権はアメリカに移され、島々には次々と欧米文化が流入していった。独立後はアメリカとの間で「自由連合協定」と呼ばれる外交・軍事・経済支援にわたる包括的な協力関係を締結し、多くの島の人々はアメリカと密接な関係を築いている。それでも70代以上の年配者の中には流暢(りゅうちょう)な日本語を話し、日本時代の思い出を語るお年寄りも少なくない。これらの島国は国家として人材面でも財政面でも課題が大きく、日本との関係強化の期待も大きい。日本の兄弟ともいえるミクロネシアの島国の過去・現在・未来について目を向けることは、日本の歴史を考える意味でも重要ではないだろうか。



東海大現代教養センター講師 黒崎岳大 神奈川県相模原市

 【略歴】外務省、国際機関勤務を経て、2018年より現職。太平洋外交のエキスパート。17年、中曽根康弘賞受賞。前橋市出身。早稲田大大学院博士課程修了。

2018/04/14掲載

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